元気ない期が続いている。どうしてこうなるんだ……昨日(11日)の夕方以降から今日(12日)は人様に申し上げられないほどの堕落っぷり、こうなると夜更かしがどんどんひどくなり起きる時間も遅くなる。今日はリビングのソファで寝てしまい、浅い夢を見ていたような気がしたので寝てるあいだも「眠りが浅いな、静かな自分の部屋じゃなくてこんな場所で寝たから」と思っていたのだがいざ明るさに目をさますと早朝でもなんでもなくとっくに10時を過ぎていて、家族の往来でがやがやしていたはずの6,7時台はぐっすりだったということになる。自分がいまどこにあるのか、どれほど休めていたのかもわからず、茫然とした。しかし身体か心のどこかが悲鳴を上げているのだろう、本当の問題はまた別のところにあるのだろう、とぼんやり思っている。わたしの問題は怠け癖だが怠け癖そのものではない。腰を据えて頑張ることができる事柄や時期も稀ではあるがないではない。長く続いた体調不良はわたしを日常の生活から完全に切り離してしまった。2月からやってきたはずのことからいったん離れてしまったわたしは、もう一度春休みの生活を作り直すことに難儀しているようだ。気が重いこともいくつかあり、それらのストレスもあるのだと思う。白紙を期限内に出せなかったことも影響しているんだろうな…(落とすぞ、と決めたときはそんなに凹んでないと思っていた)
11日は東日本大震災関連のテレビを観たり、『10年目の手記』を読んだりしていた。震災から10年が経った2021年に、当事者/非当事者の別なく、震災について語る手記を募り、それらを読みながら記された瀬尾夏美と高森順子の往復エッセイや、手記を朗読する試みのレポートなどが織り込まれた本だが、そのもととなった手記はすべてこのページから読むことができる。
ひとつひとつの手記に語ること/語れないことをめぐる「秘密」があり、わたしの身体ではうまく思うことのできないリアリティにふれる。瀬尾は、その「わからなさ」を書き手と読み手の双方が抱えるものだといい、「わからなさ」があるからこそその双方は書物のなかで「自由」であると指摘する。震災後にカメラを向けられれば、語りは「個」としてではなく「被災者」「支援者」としての語りになってしまう。いまなら、それぞれがうちに秘めていた、言いたいけどずっと言えなかった個人的な事柄が手記という形で残されることもありうるのではないか。10年という時間と、手記という表現形式がひらく「個」としての表現、「個」としてのつながりの可能性が、瀬尾によって示唆される。
PNはっぱとおつきさまによる「2011年3月12日から、現在(いま)へ」は、昨日読んだ文章のなかでもとくに印象的だった。
町役場の人が窓を開けて、私に向かって叫んだ。「原発が爆発した! 逃げなさい! 」突然のことで、自宅から約7キロにある原発の存在と、その原発が爆発したことが頭の中でつながらず、頭が真っ白になってしまっていた。
その身をもって福島第一原子力発電所の爆発を体験したはっぱとおつきさまさんにとって、その出来事がもたらした衝撃はどのようなものだったのだろう。わたしには想像することもできない。まったく事態がつかめないままに家を追われ、それが数年に渡って続くことなど思いもよらなかったはっぱとおつきさまさんが、「あの日」の「あの瞬間」を記そうとしたとき、どれほどの苦難があり、どれほど書けなかったことがあるのか。簡潔な文章のあいだに果てしのない沈黙を思わず聞き取ろうとしてしまう。
また避難をした土地で、白い目で見られたり、差別をされたり、昨今も続くコロナ差別のようなことが起こっていたのは言うまでもない。
「言うまでもない」という言葉。どう書いたらいいか、わたしがこの文章の感想を記そうとしていることに恥すらいま覚えているが、「言うまでもない」というこの言葉に、書き手の経験と、避難を余儀なくされた人々の無数の声と、差別の有無を問うことへの強くゆるぎない拒絶があらわれていて、「差別をなくしていこう」「そういう意識なんてないよね」と言い放つことができること自体がきわめて特権的な身振りなのだと改めて気づかされる。そんなもの、当たり前に「ある」し、それに声を上げる人々も当たり前に「いる」。そんなこと言うまでもない。そう書くはっぱとおつきさまさんにはきっといくつもの踏みにじられるような経験が、また他者へ向けられている差別をじかに目にした経験があったはず。しかしそれによる悔しさやつらさは書かれない。自らの経験から来るだろう複雑な感情を排し、ただ「言うまでもなくあった」と凝縮されるまでに、どれほどの時間と、諦念と、怒りを積み重ねてきたのだろう。わたしは、応えられる言葉を持っていない。
アカデミー賞のトロフィー授与の場面が、ふたつ、話題になっている。立場も生きてきた場所や年数や経験も異なる様々な人の意見がSNS上に飛び交っていて苦しい気持ちになるが、何度も反芻してやまないのは、欧米圏で過ごしたことのある人はどの人も、「アジア人であることで自らが透明になる経験」を語っていたことだ。「言うまでもない」という言葉が頭から離れない。