6日は起きても起きても頭が重く、眠く、吸い寄せられるように、眠りが眠りを呼ぶように一日中寝ていた。去年の夏休みの終わりや秋学期開始直後もこんな感じだったので、時々くる強制的なメンテナンスのようなものなのかもしれない。困るは困るのだけれど。ずっと寝ているわたしに母は「なに?」「なんなの?」と訊いてきた。気を抜くとすぐにサボる、家では基本ずっとだらけていて家事も掃除もしない、そんなわたしの信頼のなさが露わ。だからこれまでのわたしの行いが悪い面ももちろんあるのだが、昼寝しているときに「ちょっと体調悪いの!」と伝えていたにもかかわらず、夕方、長い昼寝を経てまたわたしが起きたときにも母は「ねえ、なんなの?」と言った。なんなのも何もない。こっちが聞きたい。寝たくて寝てるわけじゃない。そんなふうにちょっと怒った。けどあんまり響いてなさそうだった。
確かに、訊いてもなんのレスポンスもなく、起きてもむすっとした顔でぼーっと座っているだけのわたしがどんな状態なのか、色々わからないのはそうだと思うけど、体調悪いのになんなのと訊かれて嬉しいやつがどこにいるか。わたしにだって理由がわかるわけじゃないし、わかっても言わないよ。そもそもわたしはただ寝てるだけだ。なにが気に食わないのか、なにが不愉快なのか。
で、今日はおおむね元気。雨模様だからか気持ちはちょっと上がらない感じだけど、体調的にはお腹がちょっと痛むくらい。
5日は先輩とポレポレ東中野で映画を観た。先輩は先に着いて『94歳のゲイ』を観、わたしが14時ごろから合流して『ラジオ下神白』を一緒に観た。映画の最初のほうで、恐らく瓦礫かかつての家の跡地のところから拾い上げてきたカセットを、いまは団地に住んでいる持ち主のところへ渡すシーンがあったのだが、ふと『青い山脈』、と曲名が誰かの口に出された瞬間に、持ち主の方が一節を自然に歌いはじめるシーンがあって、印象深かった。歌われなくなった歌の旋律は記憶の古層でずっと鳴っていて、きっかけが、キューがあれば自然と口を衝いて、わたしじゃなくて歌が歌いだす。歌詞もあのときといまを同時に照らしだす。わたしは『愛燦々』という名曲に出会い直すような思いをしたし、あのクリスマスパーティに参加していた方のなかにも、そういうふうな思いを抱いた人がいたのじゃないかと思う。「それでも過去達は優しく睫毛に憩う 人生って不思議なものですね」……中盤、「ラジオ下神白」のバンドメンバーのお子さんが完全に主役の瞬間があってとても良かった。団地に住む方のなかには配偶者に先立たれた方も多くいた。それが震災によるものなのか、別の瞬間、別の理由によるものなのかは語られない。パーティの名残を惜しむようにバンドメンバーが部屋から去るその瞬間まで語りをつづけるその方を、映すカメラの外から、パン、パンと音がして、カメラが瞬時にそちらに眼を向けると、どこで憶えた動きなのか、かつて連れ添っていた方の仏壇にそのお子さんが祈っている。それは、ただそうする大人のしぐさを真似ただけのことかもしれないけれど、それに物語を見出してしまうひとのこころの働きを誰が止められるだろうか。仏壇に祈ることも、誰かの歌を自分が歌うこともそういう行為なのだと思う。誰かの物語を祈ること、それがこの映画自身だったようにも思えてくる。わたしは書きながら、思い返しながら、数日前に読んだ大江健三郎「鎖につながれたる魂をして」という短篇の、ある力強い一節を思い出した。「たとえ幻想であるにしても、人はおのおの幻想をいだく権利があり、それに強い表現をあたえもする権利があろう。」
そのあと先輩とおしゃべりをし、本屋でハン・ガン『別れを告げない』を買う。デビットカードがなぜか使えなくてびっくりしたのだが、理由はすぐに判明した。数日前、誤送金(お金がなくなる側)とも言うべきアクシデントがあり、いま一時的にとんでもなくお金がない。いや、お金はいつもないのだけど……今日(7日)の寂寞はこの金欠状態から来ているのかもしれない……