10/4夏休み最終日の日記

atoraku
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(追記:2024/03/13深夜)昨年の夏休み最終日に記した日記が、Twitterの本アカウントのnoteに非公開のまま置いてあり、思い立ったところがあってそれを読み返し、ここにはわたしのそのときの「いま」が率直に書かれていると思ったので、ここに供養しておきたい。もう他人が書いたように思える箇所もあれば、ずっと同じことを悩んでいるよ、と言いたいところもある。あなたの考えている、「どんな大人になりたいか」という問いに、わたしは今日は「誇りをもって生きる大人になりたい」と答えたいと思っているよ。それが他者から承認されることとは違った意味で人のために生きる、ということなんじゃないか、と思っている。いまは。だから明日には違うかもしれない。でもきっと同じようなことを考えているよ。進まないな、ずっと同じようなこと考えてるなとわたしも思うけど、たぶん、そんなふうにでも、生きていていいんだと思う。

ここから、2023/10/04の日記。

「家族もみな寝入ったあとの、静かな夜になにかを書く時間が好きだ。ひとりで、いちばん純粋な私になるこの時間が。」

夏休みのはじめの日にわたしが書いた日記の末尾はそのような文章で締められていた。いま、それからおよそ二ヶ月後の、夏休みの最終日の夜を迎えて、「ひとりで、いちばん純粋な私になる時間」にさしかかっている。家の者が寝静まったあとのリビングではなく、体調を崩し、ほぼ一日寝込んでいた孤独な自室のベッドのうちで。一昨日、季節の変わり目の肌寒さに十分な準備をせぬまま寝入ってしまい、起きぬけには鼻がすこし出るのみで(元々鼻炎持ちでもあるため)さほどの影響はなく感じられたのだが、じわじわと身体の均衡が揺さぶられてゆき、今日は起きてからも続く眠気、鼻水と頭の重さにバイトを休むことにもなってしまった。

夏休みの当初にはほぼ毎日書いていた(そしてそれなりに楽しんでもいた)日記を段々更新できなくなってしまったのは、ごく個人的な出来事というか悩みごとに心身のリソースをほとんどすべて割いていたからで、一応それがちょうど一段落したのが一昨日のことだった。一段落とはいえ、実際にはかなりのハードランディングだったのだが……ある人間関係上の問題とそれに纏わる想念にひとたび落ち込むとその事以外が覚束なくなり、思考が硬直したり生活が覚束なくなったりするのが私の悪癖のひとつなのだが、件の悩みごと自体、その悪癖が引き起こしたものでもあり、改めて自分の課題だと反省する次第なのだった。とはいえ、渦中へ強く絡め取られている期間には、それを考えないようにすること自体が強いストレスなのでもあって、過ぎればものを言うことも思うこともできるが、当時の自分の、なかなか進まない一分一秒に絶えず心を脅かされるような感覚を思いだし途方に暮れる。

依存。ひとことで言えば、夏休み後半の私が苦しんだのは人への依存の問題だった。今年の6月、かつてお互いの大切さを認めあっていた人と、友達であることを約束しつつ別れたのち、こちら側からすればその過去に見合わない仕打ちに怒り、相手側からすれば私の出過ぎた言動に圧迫感を感じ、一昨日正式に関係を疎遠にすることにした。他人の感覚も自分の感覚も決してわかるものではなく、人の気持ちは変わりうるし、それに私は何を言うこともできない。もう手を伸ばすこともその手をつかんでくれることもないが、そもそも私たちはひとりなのであって、どうやったってひとりで生き、ひとりで自らを支え、励まし、やがて死ぬしかない。夏休みのあいだ、『違国日記』や『この世の喜びよ』などを読んで反芻したこのような考え方は、自らの期待や不満に振り回される私が自分自身を納得させようとして書き留めたものでもあり、恋愛や他者に依存することなく自らの生活を再建しようとして取り入れようとした考えでもあった。それでも、その人には迷惑をかけ、最後まで自分を納得させることができなかった。所有の感覚を持つことも見返りを求めることも、思い通りにならないで負の感情を溜め込むことも、本当はしたくない。誰かを傷つけたくない。

私にとってこれまでの大学の月日は、その人のためにあったと言ってもいい。人文学を学ぶ動機のひとつは、私にとってこの上なく大切だったその人の話すことや感覚をすこしでも聞き届けられるようにする、ということだったし、どの小説のどの一文を目にしても、その人の言葉、一緒にいるときの情景が浮かんだ。私の書く小説にはその人との記憶が色濃く反映されているし、その人が人生を憂い、固く心を閉ざしたとき、言葉の届かなさや自己の無力さに苦しみながらも、私には、言葉には何ができるだろうと考え続けた。――去年の秋から冬にかけてのことで、私はその時期ほとんどと言っていいほど小説を読むことができていなかったのだが――目の前の大切な人のために全力を尽くすことが、やがて色々なものにつながると信じ、そのことによって自己を励まし、生きてきた。実際に、その人を通して私は、幸せな体験や人との出会いを様々に経験しもした。

文学部を選ぶことにしたのは、私は人の気持ちをわからない人なのだ、という思いがあったからだった。高校の部活や人間関係で私は、環境に適応できないままそれを自分のせいにも環境のせいにもでききれず、自らのプライドは守ったまま、その場を去ったり自分の感覚を誰かに全力で伝えたりといった明確な行動にも移らずにいた。いま思えば、そういうふうに自己を責めるのが尊大さと一体のものとしてあるのだともわかるのだが(その問題がいま現在まで続いていることもまた明らかだが)、当時親密だった様々な人に迷惑をかけているとばかり思い続けてしまったその頃、私はまったく小説を読んでいなかった。コロナ禍でまとまった時間がとれたときや受験勉強の際に小説にふれたとき、自分は小説の読み方を知らない、自分はぜんぜん小説というものを読めないのだ、と感じ、それが現実と一連のものとしての自らの課題なのだと考えた。文学部に行き、小説を読んだり人文学を学んだりすることで、自分本意だった私をひらき、人の気持ちがわかる優しい人になりたい、と思った。

これまでよりは小説を読むようになり、大学3年になったいまの私として、「小説を読むことで人の気持ちがわかるようになるのでは」というその問いかけに答えられることがあるとすれば、人の気持ちなどというものはますますわからなくなる一方だということ、他者のために生きるということと他者に承認されて生きるということとは切り離して考えなければならないのだということのふたつだけだ。他者のための営為は、それが深く自分自身のための営為でなければならないし、それが届かないとしても、まったく当たり前のこととしてその都度受けとめなければならない。『違国日記』の槙尾がいうように、「それをわかっていて、なおそうすることが貴い」のだとも思うけれど。

いま、ひとりになった自分自身に、「私って小説好きなの?」という問いかけがぐるぐると回っている。自分はちゃんと、深く自分自身のために本を読んできたのか? 自分自身の声を聴いて人生を歩んできたのか? 進むべき方向も道もわからずに、果てしない水平線のみが見渡せる海の上にひとり浮かんで、自分は自分が空っぽなことに気づく。いつまでも浮かんでいられる代わりに、コンパスや浮き輪といった手持ちの道具もなければ船もなく、手がかりを見つけるための技術も持ち合わせていない。

自分はどんな大人になりたい?

世の中で起きていることに、様々な他者の言葉を借りながら自分の意見を表現し、いつでもそれを検討したり作りかえたりできる大人。日々の小さな喜びを忘れずに、誰かの喜びも大切にできる大人。どんな職につきたい? 作家、研究者、編集者? はたまたまったく別の何か?

わからない。それを授けてもらえるまで、それがわかる日が来るまで、私は目の前のできることをするしかないのだろうか。多分そうなのだろう。思えば、そんなことを繰り返し考えてばかりいた夏休みだった。

書いていて、思い出したことがある。受験期に学校の問題集で、鷺沢萠『川べりの道』を問題として解いた。たしか午後の授業で、そのあとは帰りだったから6時間目だった。ちょうど同じほど若い語り手が、たしか複雑な関係のもとにある父を訪れに行く道が川べりの道だったのだが、細かくは忘れてしまった。しかしそのときは、文章が発する叫びを聞きとった心が鋭く反応してしまい、秋風が吹き抜けるような洗い直された感動のなか、わけもわからず放課後、塾の入っているビルの地下にある本屋で講談社文芸文庫版を最後まで立ち読みした。(このレーベルが文庫にしてはあまりに高すぎることも、当時のお小遣いではレジに向かえなかったこのとき初めて知ったのだが)小説にこの力がなかったとしたら、小説のおそろしさを知ったこのような日がなかったとしたら、たぶん私は文学部にいない。これからの私の人生のうち、動かしがたく決まっていることがあるとしたら、小説の世界という狭いとも広すぎるとも言えるこの小宇宙に時折、どうしようもなく引き寄せられ、死ぬ直前までそれは変わらないだろうということだけだ。

また一からスタート、また一冊、一編、一行からスタートだ。いつか、半ば衝き動かされるように、半ば歓びと期待の感覚をもって、読む/書くことに向かうことのできるそのときに向かって。