2024/03/03

atoraku
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村上春樹と河合隼雄の対談本読む。自分にはいま「井戸掘り」したい内的イメージがあるのだろうか、それなりに常識的な世界のなかで生きていられてしまっているようにも思う。それはつまり「死」を忘れて生きているということなのだと思うけれど、先だっての発熱で死について思いが向いたとき、自分はいま死んでも死に切れんなと思った、というのは死を迎えるための準備ができていなさすぎて乗り越えられない感じがする、ということなのだけど、逆に言えばスパッと死んでしまうだろうということでもある。休み期間はけっこういつもこんな感じで、葛藤がない。ある程度自分の好きに生きることができているから(この前の発熱期間みたいなのを除いて)だと思う。読書や勉強に埋没させる環境の圧みたいなものがないからかもしれない。大学という場所が自分にとってはある程度強制力をもった修練の場としてあり、その強制力に耐えられず授業をサボることももちろんあるが、うまく装置として乗りこなしている場合は自分の肉体がどんどん変わっていくのを感じる。なんか翻訳とかしてもいいのかもしれない。誰かのことを深く知りたい、知らなければいけないという強い動機や、自分の言葉と誰かの言葉を烈しく突き合わせなければならない機会が、いまのわたしにはほとんどないから、小説が生まれてくる余地がないのかもしれない。とはいえどうせ生きていれば必ずなんらかの問題が生じてくるもので、そう焦る必要もないのかもしれない。

(追記)でもこうした日々がわたしは好きだ。というか、いまはそれに可能性を感じているところがある。熱で休んでいるとき、大学の景色や高校の景色、いままで体験してきた時間がいろいろに思い出されて、わたしはそのどれもから遠い、と思う。暗い部屋でひとり、ベッドに寝ていて、どこにも行けない。こういうとき感じるひとりの心細さもまた貴重なもので、それをきちんと踏まえておくことで書ける文章があり、保つことのできる距離があり、想像できる時間がある。「知りたい」の気持ちも「好き」の衝動も、大きければ大きいほどいいというものではない。

文章のかもしれない運転。

解熱後数日は身体はまあまあ元気だが寝すぎる日々で、中途半端な気持ちで結局ほとんど本も読めなかった。家にいると本読めない、の意味をわたしは真剣に検討しなければならない。まず、外にいると自分が一人であるということ、自分を知らない誰かの目線に晒されているということが大きい。家族のいる空間で自分の奥深くに潜っていくことには抵抗がある、というか大学でも友達との集まりでも基本的にしゃべっている以外落ち着かない。部室にいるときの感覚というか。ならば自分の部屋に行けばいいのではないか、ということになってくる。確かにそうだ。自分の部屋でも結局は集中しないこと、ここに他者の視線の不在とかスマホとかが絡んでくる。結果、わたしは自分一人で生きる分には精神活動をそう欲していないのかもしれない。悲しい仮説だけど……ただこれは誰しもそうかもしれない。ある程度身体を動かして(仕事的に?)本に向かっていくことで、本といっしょに生きる自己の生活を制作していくイメージ。それが楽しかったり面白かったり辛かったり大変だったりする、と結局のところ人と人が生きることについての一般論に落ち着いてくる。それなら自分一人でYouTubeとか見ている時間があっても別にいいか。

抑圧している暴力性、について考える。この熱で動けなかったとき、身体ごと乗り換えたいと思ったことがあったけれど、変えることのできない状況を一気に変えたい、変えなければ気が済まない、そういう衝動のもとに生まれてくる変形についての想像力はたしかにある。たとえばいまガザ地区やラファに対するイスラエルの侵攻に国際社会が手をこまねいているだけだったり、いつまでたっても自民党による保守政権が終わらなかったりする類のことに対して、無力感と有能さへの夢から、即効性のある暴力と独裁についてのイメージを抱くことは幼いころからよくあった。こういうひとがこういうことをしたら、ひょっとして事態は大きく変わるのではないか、というような。これはものすごく危険な妄想だが、学生闘争だったり諸々の革命だったりの背後にこうした夢がないということはたぶんどう考えてもない。『ペスト』のコタールのように、災害や病をどこかで待ち望んでしまう人の存在も、抑えられた力への不満や苛立ちが、巨大な暴力によって社会が逆襲されるヴィジョンを夢見させるからなのだと思う。それで、そうではなくて、時間のかかる、ひとりの地味な手作業による、理想と生活とを水面下で拮抗させ続けるような、欲望を宙づりにしつつ徐々にそれを他者への想像力に変質させていくような、それによって巨大な歴史や体制に対するオルタナティブな可能性をその都度生みだしていこうとするような作業が小説なのかもしれない。小説の細部にこだわるとは、社会に対する拮抗力を小さな部分から見出していこうとする姿勢であり、それによって文章は力を帯び、社会への見方も複雑なものになり、日々は葛藤に満ちる。抑圧と発露の二極で暴力性をとらえるのはたぶん素朴すぎるのだろう、暴力性のプリズムは、ときに抑えがたい衝動に、ときに危険な欲望と悪意の動力になって光り、ときには痛みを確かめるためのなぞるようなタッチに、不当な現況に声を響かせるためのハンマーになって光る。

俄かに、竹西寛子が気になっている。昨日ふと思い立って昨年新装された中公文庫の自薦短篇を引っ張ってき、今日はその本からもうひとつ短篇を読んだ。竹西寛子の著書はそれのみ持っていると昨日まで思って過ごしていたし、そればかりか、買ったときでさえはじめてだと思っていたが、じつはそれ以前に彼女の古典文学論である『贈答のうた』を堀江敏幸のみちびきによって購入しており、それらが同一人物の手によるものと気づかなかった。家族と外出して帰り、夜はゆっくりと『贈答のうた』をひらいてみたのだが、日本の現代文学ばかり読んでいたわたしには、平安から鎌倉の和歌を中心とした文化が。それ自体としてまず、いたく新鮮に思えた。現代に浸って生きるわたしにとって、生活のなかに和歌を詠み、それらを贈り合うという営為があったという事実を確実なリアリティをもって想うことは難しいことかもしれないが、本書を読むと、それを垣間見させてくれているような気持になる。竹西寛子による手ほどきが時を渡してくれる。

(寄り道。本の感想を書くことは、自分の言葉を押し上げてくれる。と感じる。)

おそらく生来の性分だろう、少なくとも高校のころからそうはっきりと意識するようになったのだが、わたしは、自分のうちの評価軸よりも他者評価によって生きてきた節がある。もっと簡単にいえば、わたしは空っぽなのだ。これではいけないと思いながら過ごしてきたが、その中心はいまでも変わっていない。大学に入っていろいろ学んだり考えたりしていくなかで、自分の人生のベースにはいつも「聞く」ことがあったと気づき、わたしはもっともよい「聞き手」になりたいのだ、というふうに自己の行先を定めてからも、その場しのぎの「聞き」では日常の雑談に身を堕してしまうことも多く、つとめて自らを面白い語り部たらしめようとはしてこなかった。小野和子がその身を以て教えてくれているように、よい「聞き手」たるには「訪う」ことが不可欠であり、いかにして身体に「話」の記憶を宿していくのかということが聞き手の資質を形作る。均されたコンクリートの地表に安住することなく、つねに新しく声の地層を語り耕していくことによってのみ、わたしという土地に時間が流れる。

素敵な自分でありたい。自分のいいところは自分からは決して見えないものであるという認識は安易なナルシシズムを退けはするが、なにかを面白いとか素敵だと思う気持や、面白さを捉えようとする心の構えがなければ、無気力なままさらに深いナルシシズムへと沈んでしまう。誰かが自分を「よく」語ってくれるだろう、というふうに。

うーん、難しい。まだあんまりまとまんないな。自分はいま誰かに素敵だと言ってほしいのか? そうでもない気がする。よい語り部たろうとする意志が自分のなかにあまりない…?(仮にも小説を書きたいと思っている人間がこれでいいのだろうか) これ面白い!ってなっているときの自分はあんまり評価とか気にしない。だからそこでは自分というよりできごとが先にある。謙虚でいたいと思うのも、自分が主語だと違和感があるのもそういうことなのかも。でも人より自己への執着がだいぶ強いような気もするし。わかりません!

コミットとデタッチメントという用語がやはり河合-村上本の主軸だったような印象だけど、わたしも、なんらかの形で社会にコミットしたいと思っているような気がする。デタッチメントのあり方を深く見つめることでコミットに到達する、というのは人間の話であり小説の話で、個人が使う言葉をどう普遍へと届かせるか、みたいな話だと思う。古典を読む意味とか自国語以外の言語を学ぶ意味みたいなものもここにあって、小説を書くには遠回りしなければならないっていうのもたぶんここにある。つまり、一見日常の時間からかけ離れた、どこがつながるのかもわからないなにかをコツコツ深めていくことで、いつしか日常だと思っていた景色の膜がはがれたり、穴が開いていたことに気づいたり、みたいなこと。きょうは吹奏楽部のときのことを振り返ったりもした。コツコツやることが苦手だったなー、と思う。でも小説ってめっちゃコツコツ!(困った!)

時間をかけてコツコツやることでどこかに届く言葉(なり自分の音、技術)を作っていくというのが大事。ということは、日々~、生活~、日常~、と言っている自分こそそれをぶん回して攪乱するような時間性を日々のどこかにコツコツと確保する必要があって、現代から過去から場所まで飛び回る広い未踏地域を自分の足で探索し、地図を作るような日々が始まってしまった、ということなのかもしれない。