夕方に夜ご飯を食べながらサザエさんを観ていた、来週は三話らしいが今週は(見逃してなければ)たぶん全二話だった。一話目はワカメがおしゃれにハマった、という話で、たとえばサザエの帽子を勝手に持ち出して外出したり、父やマスオさんのスーツのコーディネートにうんうん頭を悩ませ、結果彼らが遅刻しかけるくらいになってしまったり(たぶん駅に向かって、住宅街を走っていた)と、いかにもアニメのサザエさんらしいエピソードが描かれていたのだが、最後のほうで一家総出で出かける用事があるということになり、その前日、ワカメがみんなの服装をプロデュースすることを申し出る。家族全員って、どれくらい時間かかるんだろうね、と心配する家族を尻目に早速ワカメはタラちゃんのスタイリングに入るのだが、タラちゃんが着たいと思っているクマの模様の服よりワカメには理想のコーデがあり(水色のセーターに白のサスペンダーズボンで、落ち着いていてきれいな感じ)、こっちのほうがおしゃれだわ、とワカメはこだわる。説得が難航しているところに、ふと部屋の障子が開いてひょいっとサザエが顔を出し、ちょっと、と微笑みながらワカメを呼ぶ。サザエはワカメにピンクのワンピースを買ってきていた。ワカメもまた胸元についたピンクの大きなリボンを気に入った様子。ワカメに似合うんじゃないかと思って、と言うサザエに、とっても素敵、これにするわ、とワカメは返して、はっと気づく。おしゃれな服よりも、自分が気に入っているもの、自分に合うもの、着たいと思うものを着るべきなんだ。夜ご飯の食卓で、ワカメは明日のコーデの条件をひとつだけ示す。自分が好きなものを着てきて! 和服にしようかね、とフネ、わしも和服にしようか、いやスーツもいいなあと波平。クマの服着ていいですか、と聞くタラちゃんにもちろん、とワカメは返していた。翌日、カツオが着てきたのは、まるで普段着のような緑の短パンで、お兄ちゃんそれが好きなの、とワカメが訝しがると、カツオは、もちろんさ、ほら、見てみてよ、と言いながら短パンのゴムを伸ばす。ここがゴムになっているから伸びるだろ、いっぱい食べられることが僕にとってのおしゃれなんだ。サザエが、まあくだらない、と言っていた。
いい話だなあと思って見ていたのだが、なんかすごいなと思ったのは、サザエが「まあくだらない」とカツオに言い放つところ。みんな違ってみんないい、じゃないのかこの話! みたいな。けっこう強めにツッコむんだな、という。それぞれの「好き」を互いに共有する必要はないし、なんやそれ、と思っても、排除することはない、ある種の「勝手にせい」感があって居心地がいいな、と思った。
書きながら思い出したけど今週も三話だった。さっきまで書いてたのは第二話で、これからが第三話。第一話は近所にテレビが来る、浮き立つ周りに対して当人はちょっと迷惑に思っており、みたいな話で、これをテレビでやるんだ(しかもフジ)、とちょっと斜に構えて見てしまった。最後の話は、いつもの「ノリスケめちゃくちゃデリカシーない」シリーズ。居酒屋で酔っぱらったノリスケがマスオに、フグ田君は話がつまらない、そもそも人としての面白みがない、みたいなことを言って激怒され、絶交を言い渡される。そのことを帰ってサザエに話すマスオだったが、マスオ自身は翌朝には言い過ぎたなと思い、怒る気持ちがなくなっている。一方波平はその朝、話に感化されて自分もノリスケに言われた失礼な発言を思い出し、ノリスケがマスオ君に真剣に謝るまでわしも絶交する、とノリスケに言い放つ。(このとき、ノリスケがこれもまた失礼な理由で磯野家の居間までなぜか上がっていたのだが、理由はよく覚えていない。)ここでカツオが動く。途方に暮れるノリスケに相談相手を装ってこっそり会いに行き、ごめんなさいって言ってお詫びの品でも持っていけば大丈夫だよ、と吹き込む。品物目当てだ。ノリスケは単純にも、ほんとうか、そうかそうか、とか言っているが、もう危うくて見てられない。さっきから自分がもしその場にいたら冗談じゃない、ヤバいことになったぞ、みたいに思う出来事が続いているのに、ノリスケが一番なにも考えていない。そういえば、翌朝にノリスケが磯野家にいた理由はよく覚えていないが、酒の勢いで言ったことをノリスケは完全に忘れており、そんなこと言いました?と言うノリスケに波平がキレたのだった。覚えていないとは何事か。それで、マスオはというと、自分はもう怒っていないのに今度はお義父さんが怒ってしまった、こんなことになるとは思っていなかった、と落ち込んでおり、あなたそれなんで言わなかったの、とサザエが詰める。時を置いて夜ご飯の食卓で、マスオが波平にそのことを話すと、そのときには波平も、わしも言い過ぎた、と気持ちが鎮まっており、そんななか、ノリスケがお詫びの品をもって磯野家にやってくる。いやあ、あれは本当に、すみませんでした、とノリスケ。その一言が聞きたかったのだ、と波平。いやあ、そうでしたか。まさかあんなに怒られるとは、とノリスケ。いやいや、僕たちも言い過ぎたヨ、とマスオ。いやあ、言い過ぎですよ、びっくりしましたよ、とノリスケ。ヒヤヒヤするわたしに反して男たちはもうケロッとしている。すると、フネが、それが謝るときの態度ですか、父さんとマスオさんが許しても、わたしは許しませんからね、と烈火のごとくキレる。土下座するノリスケ。結局、いちばん効き目があるのは、お母さんだなあ、と波平は悠長なことを言う。ここでお詫びの品が開けられるのだが、ワクワクするカツオの前に広げられたのは高級ウイスキーだった。(サントリーのROYALとかoldっぽかった。)酒の過ちを酒でお詫びするノリスケ。ウイスキーか、いいですねえ、と波平とマスオ。つまみもいりますねえ、とノリスケ。口々に盛り上がりながら調理場のほうへ消えていくのを、茫然として眺めるカツオやフネ、その他の家族陣。この男たちどうしようもないな。とわたし。
(自分もそうだが)男の人って、どうしようもない…みたいなことを思いつつ、落語みたいだな、と思う。それに、限られた分数でこれだけの人数の気持ちの変化や思惑を描けるのはすごい、とも思う。前にもすこし思ったのだが、サザエさんやちびまる子ちゃん、ドラえもんやクレヨンしんちゃんなど、長く長く続いているアニメ作品は、よくよく考えればすごい量の「蓄積」がある。わたしたちは主要キャラクターの振る舞いや口調や行動パターンみたいなものをなんとなく把握している。キャラクターが「立っている」状態にある。それは製作側もたぶん一緒で、すでに「立っている」人々を動かすことになるから、たぶん説明やキャラの立ち上げにかかる時間を多少省略しながら描ける。わたしたちはそれを毎週自然に受け取っているし、サザエさんの食卓、と言っただけで特定の画がだいたいのひとの頭に浮かぶ。これはものすごいことじゃないか。
サザエさんがやっている時間、わたしはバイトに入っていることが多い。だから毎週見ているわけじゃないし、見ているときも基本的になんとなく見ている。ただたまにちゃんと見てみるとけっこう面白かったりする。なんとなく見ることができている画面で、じつはすごいことが起きているのだな、と新鮮に考えたりする。