夜、リビングでついていた鉄腕ダッシュを見る。塩飽本島という瀬戸内海の島で郷土料理を見つけるという企画。塩飽は香川県に属しているらしい。城下町の名残で迷路のように入り組んだ通りのひとつ、重伝建にも指定されている島のメインストリートの名前を「マッチョ通り」という。マッチョ!?と国分太一とリチャード(Aぇ!group)が驚いているが、その通りに面した古くから残る名家の主が彼らに由来を説明していた。「侍があちらから来てもおかしくないくらい、古い町並みが残っているでしょう、「町屋通り」が訛って、まちや、まっちゃ、マッチョ…」「それでマッチョ通りに!」
見ながら、大江健三郎『取り替え子』で塙吾良が「松山」を「マッチャマ」と呼んでいたことを思いだした。正しくは大江≒長江古義人が地の文に挟み込むような形で「――吾良の言い方では「マッチャマ」――」と言っていたのだったか。
4時寝11時起き、みたいな生活をここ一週間くらい続けていた。今日は父親と美容院に行く用事のために早起きしなくてはならず、といっても8時半に起きれば十分なのだが、前日(6日)バイトだったこともあり案の定4時くらいまで眠れず、寝不足のまま一日を過ごした。いつも行っている商業施設のなかにある美容院は、開館直前くらいに並んでおかないとなかなかスムーズに入ることができない。本を持ち込んで堀江敏幸『雪沼とその周辺』から読みかけだった「ピラニア」を読む。カットが終わるころにちょうど読み終える。我知らず周りの人々を静かに惹きつけていく「鈍い」主人公と、その篤実さをしっかりと支えようとする語りに、読み終えた短編の外側を、すなわち「特別なことはなにも」起こらないかもしれない彼のこれからを、祈りたい気持ちになる。
髪を切ってもらったあと買い物をする。父は靴を替えたいらしい。父が、「いまがチャンスだよ、財布つきだよ」と言う。そのセリフ、親の側からは言わなくない? 遠慮しつつ靴と2枚白シャツを買ってもらう。靴は割引で安くなっていてよかった。BOOKOFFで本は自分で買った。母も合流してお昼を外で食べる。彼らはビールを飲む。わたしは飲まなかった。
行き帰りや買い物中、寝不足も相まってだいぶ好き勝手に喋ってしまった。音楽番組はいつまで「桜の名曲」とか「平成の名曲」とかをこすり続けるんだ、予算もなければアイデアもないのか、とか放言していたら母が「じゃあ特集組んでよ、プロデューサーになったと思って」と言う。「羊文学とカネコアヤノで2時間やりましょう」とわたしは言ったのだが、アーティストにかかる負担もすごくて実現性が低いし、その二組は普通に音楽番組出てるし、番組側が考えるというよりはすべてを演者に丸投げしている感じがあって、言ったあと自分で恥ずかしくなった。わたしこそアイデアも知識もないのによくべらべらと物申したものだ。そのあと頭の中でいろいろ考えてみたのだがあまり面白そうな企画は思い浮かばなかった。魅力的かつ芯のある企画を組むためにはどれほどの知識が要されるのだろう。「読みたい!」と思わされるような本に携わっている編集者の方は、きっと深く長く、色んな分野を学び歩いてきたのだろうな。