ここ数日はなんとなく調子が悪くて、抗えず寝落ちすることが多い。そうすると翌朝も気分が上がらず、キャッシュみたいなものが身体に溜まる。クリアする方法は? ひとまず眠るのが吉。今日は日記を書き終えたらゆっくり準備して寝る。
クリアするには眠るしかない、と書きかけて、今日の夜後輩と観た小森はるか『空に聞く』を思い出す。印象に残ったところはいくつもあったけれど、いつまでも観ていたい、という感覚を抱いたことを忘れずに書いておきたい。あの時間は、たぶんキャッシュに身体が支配されていなかった時間で、なぜか心がすっと軽くて、幸せだった。
しかし新文芸坐にはもう当分行かないだろう。小森はるかの上映というのはなかなか貴重で、勢いチケットを取ったものの、行く前も行った後もわたしのなかで問いが渦巻いている。実際に足を運んでみると、館内にいるあいだはなにを目にしてもハラスメントの問題をどこかで考えてしまい、設備が良いことも予告編がない快適さも素直に喜べなかった。水のなかで歩くみたいなストレスを、たぶん感じていたのだと思う。新文芸坐で観た様々な映画がわたしを形作っていることは間違いないから、その土地に抱く印象はいよいよ複雑なものになってしまった。
映画に行く前は、過ぎてしまった妹の誕生日のためにプレゼントを選んでいたのだが、けっきょく選びきれなかった。ギフトを選ぶのに最強、と個人的に思っている丸の内KITTEにいてさえ決まらなかったのだ。贈り物の選択は、物の質だけでなく選び手のコンディションにも大いに左右される。小説と似ているとつくづく思う。今日は、わたしには贈り物を「つかむ」アンテナがなかった。なんとなく調子が悪くなりはじめた時期と、小説を書きだした時期が重なっている。そんな状態でプレゼントを選んだものだから、どちらもつかめないよ、と二重に苦しくなってしまったのだけど、自分ひとりにしか影響しない執筆作業はともかく、妹のプレゼントは当然妹に影響するというか、ひとりのプロジェクトではないから、そちらのほうは(もちろん両方頑張るけど)、何度もショップを眺めて、これだ、と思う一瞬を授かるまで迷いたい。妥協はしたくないのだ、妹よ、もうちょっと待ってください…(ごめんね)
鳥羽和久『君は君の人生の主役になれ』に心惹かれ、大手町から池袋に向かう電車で食い入るように読んでいた。自分の実感をごまかして大人になることへの警鐘はわたしに深く食いこむ。「実感」という、言葉面ほどは確かではない、曖昧でつかめないものに、真剣に耳を傾けることの難しさを思う。読めば読むほど、自分がふだんひた隠しにしている問題が自分から吹き出てくるのを感じていた。