2024/03/09

atoraku
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だから、将来の夢を定めてそれに向かって進んでいくという設定自体、ほとんどの人にとって現実離れした話であって、あなたはそんな作り話に無理して付き合う必要はないのです。

(中略)

私はこれまでにたくさんの子どもの勉強を見てきましたが、夢や目標がある子はがんばれて、そうじゃない子はがんばれないという傾向は見られません。逆に、勉強のやる気がないからといって夢を実現させる力が弱いというわけでもありません。(鳥羽和久『君は君の人生の主役になれ』より)

なによりも自分がそうした「作り話」に乗っかって生きていこうとしていた、ということを知らされるようだった。なぜだか読みながらほっとしていた。夢も目標も、ひょっとしてなくてもいいのではないか。そう感じていた。たとえば、何日に何冊の本を読む、とか、何日までに何かしらを書く、という目標が、あるかどうかは問題ではなく、目標を立てることや立てられた目標が自分なりに必然であるかどうかが重要なのかもしれない。それでも、この本で触れられているようになにかを選択しないとか宿題がまったくないという状況がそうそうあるわけでもないから、その都度の目標を設定しながらも、重要なのはその「達成」に目的を置かないこと、いまに集中し、尽力することなのだと思う。「将来の目標を決めることができない自分を恥ずかしく思う必要はありません。早く志望校を決めなさい、将来何になりたいかそろそろ決めたほうがいい、そんなふうに周りの大人から決断を迫られるかもしれませんが、そんなの合理的に決めることなんてできないんです。」わたしは、いま大学四年になろうとしていて、将来のことを考えない日はたぶん一日もない、なかったと思う。この前大学で作業をしているとき、周りの人々が就活の話ばかりしていてびっくりしてしまった。「大学時代は○○に打ち込み、御社の○○なところに惹かれ」という言葉が聞こえてきたとき、そういうふうに自分のことも企業のことも語れるだろうか、と考え込んでしまった。そんな首尾よくストーリーにできない。だいたいの企業はわたしにとっては企業であるというだけであんまり惹かれない。でも、就活もわたしはつい否定的に書きがちだけど、実際は、ありえるかもしれない人生と無数の語りがそこに生成して、社会のあらゆる側面を発見して、そこで生きる人々の大切にしているもの、信念にふれることのできるきっかけになるかもしれないのだ。というか、なっているはず。なぜならそこには人がいて、人の思いと社会の論理が複雑に絡み合っているから。

漠然とした予感と、自分自身の実感をよく聞いて、いまやりたいことを探しながら生きることにしたい。間違えるかもしれない。でも、最短距離もない、そう言えるための目的地もない。たぶん道はもとからあるものではなくて、制作されるものなのだろう。その道をつくるのが、きっと「勉強」するということなのだと思う。学び、というか。読みながら気がついたことをもう一つ。勉強するとひとりになるのではないか、という実感があり、こわい、と思っている。「勉強することの大きな意味のひとつは、それを通してあなたが親をはじめとする身近な大人の思考の影響から距離を取ることができる点です。考えてみてほしいのですが、あなたがいま使っている言葉の中にはあなた独自のものはありません。あなたは、親をはじめとする周囲の大人たちが使う言葉を吸収しながら、その言葉を通して自分の思考らしきものを作ってきたのです。一方で、勉強するというのは、あなたが育った日常の中にはなかった言葉と概念を次第に知っていくことです。そのことを通して、あなたは新たな思考のための手札を得て、親密な人たちと共にしてきた世界から自分の人生が切り離されていくことを感じます。」

わたしはひとりになることをずっと怖れているのかもしれない、と思った。でも、自分はこう思う、ときちんと表明するための努力は、その言葉をつくっていくための努力は、したい、しないと恥ずかしい、とも思う。日々生じる問題や、身の回りのひとに起こるできごとに対して、なにも言葉を持てないのは悔しい。自分の言葉をつくること。

BTSの「ON」という曲の歌詞を論じたところが面白かった。なにも言えない悔しさは、わたしを学びに向かわせる痛みだ。「言葉はそれ自体が傷跡であり、私たちは痛みを介さずに自分の言葉を紡ぎ出すことなど到底できない」と鳥羽は書く。だから、「Bring the pain!」(痛みを持ってこい!)