夕方、やり過ごさなければならない系の体調不良(だと思う)が来る。たぶん眠気由来で、熱とか風邪とかではないのだが、暗い気持ちになったり外の情報に蝕まれやすくなったりして、ちょっと辛い。でも外は雪、今日はこの時間が一番寒いらしく、また読書や勉強も帰ったらしなくなることをわかっているのでいま帰りたくはない。かといって室内外を行き来できるほど身体は丈夫じゃないし、屋内をぐるぐるするのも情報が多くてキツい。結果、出てきたタリーズとは別のタリーズに入るという強硬策に出た。軽く蛮行です。
またしても、ココアラテ。前回頼んだとき、マグカップだとホイップを全然飲めなくて申し訳なかったので、ホイップ抜きでお願いしたら今回はふつうに紙カップだった。でもホイップ抜きでちょうどいい。美味しい。収穫。ぼーっと休みつつデリダのレポートの構想らしきものを考えつくなどしたのだが、それで書くとしたら読まなければならなくなるであろう文献の多さに怯む。帰り際に本屋に寄って菊間晴子『犠牲の森で』をちょっと読む。動物と亡霊を軸にキャリアを総覧しつつ個々の作品へのアプローチも的確かつ力強く、『取り替え子』については新しい読み方を提示してもらったかのように思えた。どこまでも真っすぐな文学研究の本だと思う。本当に凄い本だ。(ちゃんといつか買う)
寒いなか帰る。音楽を聴こうか迷いつづけ、イヤホンを取るためにポケットから手を出す手間(手を出す手間。)が煩わしくて結局そのまま帰ってしまった。なぜかピアノが聴きたい気分で、頭のなかではずっと流れていた。夜ご飯が焼き魚で無性におビールが飲みたくなり、この後もいろいろしようと思っていたのに酒を飲む。二回目のマルエフは本当に美味しくて今後ビールを買うときはこれがいいな、と思いつつ、生ビールは高い、とも思う。量を飲まないので多少高くても楽しめる味のものを選ぶ傾向にあるが、350mlで200円台はじゅうぶん高い。本は永く効力を持っている、だから実質無料だ、というのは自明の結論として共有されていることだけど、お酒はその対極というか、数時間だけのステータス上昇(と肝臓への状態異常付与♡)だけに絞った鬼の短期娯楽である。飲みすぎ注意!
寝る前に柴崎友香『続きと始まり』を読む。コロナ禍のことが書かれているこの小説を、ほとんどドキュメントのようにして読めてしまうことに驚く。何気ない風景のなかに幽霊めいた認識の揺らぎを幻視してしまうという、柴崎友香に特徴的な描写が、今作では、コロナ禍という「非常事態」を背景に敷かれているためか逆説的にリアルで、わたし自身が経験してきた感覚のようにも思えた。工事前の景色を思い出すとか、別の場所の別の時間の景色が微妙に重ね合わされてしまうことなど、他作品にも見られるようないわば「言葉に負荷をかけた認識」が、たとえばコロナと東日本大震災、阪神淡路大震災との記憶上のスリップや、マスク前後の感覚の変容(マスクをつけるのを忘れるのではなく、マスクを取るのを忘れるようになった。わたし自身、もうマスクをつけないで外出する自分をうまく思い浮かべられない)や、緊急事態宣言下の街の変容など、多くの人にとって身近だと言えるかもしれない感覚につながっている。
それにしても読むのが遅い。しっかり時間をかけて読んだのに、30ページ程度の一挿話すら、一時間半かけても読み終わらない。全体の三分の一ほどもまだ読み終わっていない。これはこの作品の文章が要請する丹念な認識だったり、ひとつひとつ感覚をゆっくりと踏みしめていくような進み方にも拠るのだと思うけれど、それにしても。
夢を見た。映画のスクリーンに見える。そこには人物も風景もなくて、ただ緑色に綺麗に光るのを眺めながら、そこにそれがあるという事実、暗闇のなかに光があるという事実に胸を打たれて泣いていた。感動していることを夢のなかのわたしは隣で同じようにそれを見ていた人に伝えたかった。と思う。