11時頃起きる。昨晩Twitterで竹内まりやの曲をおすすめしたことで自分で思い出したのか、竹内まりや「駅」を流しながら起きあがる。母に、「なんで急に竹内まりや」と訊かれる。「わかんない」と答える。すこしして上の経緯を説明すると、「ただただ悲しいだけのバラード(というのがTwitterで後輩が募集していた曲のお題だった)といえば中森明菜「難破船」でしょ」と言う。へー、と言いつつSpotifyで調べ、聴かずに閉じる。
朝食。
コンビニのスティックパン数本、袋に入ったミニメロンパンみたいなパン数個。ヤクルト、野菜ジュース。食後にコーヒー。
コーヒーを飲みながらTBSのニュース番組を見る。母親が、好きな番組の特設があるからこのTBSのイベント行きたいんだよね、と言い、今日は風がすごいから無理、とも言う。テレビでは16時までと書いてある、いまから準備して行ってもなにもできなそう、と言うと、母はそれはそう、と言った。
前日に母は大泉洋のトークイベントに行った。人生のいつからなのか、母は大泉洋のファンであり、まあ推しているのだろうが、推しという概念がなかったころからそこまで大泉に入れこんでいたのか。わたしにはわからない。大泉洋がテレビに出るきっかけとなった、北海道のローカル番組「水曜どうでしょう」が彼ら夫婦はどちらも好きで、その影響でわたしも好きだが、てっきりそうした番組単位でのファンなのかと、あるいは大泉洋のファンだったとしても番組に出ているのを見るのが好き、くらいのことかとわたしは思っていた。ファン、と、推し、という言葉の間には、実存が凭れかかるかどうかという大きな壁があるように思えていて、とにかく最近の母のそれは推しに近い。リビングでうねうねしていたある日、ハッ、と母が大きく息を飲んだから、わたしも父もびっくりして黙って様子を伺っていると、はぁぁ…!と何度か漏らすようにして声をあげたのち、母は、大泉洋のトークイベント当たったんだけど…!と並々ならぬ一大事を伝えるかごとく言った。ちょうどその時期は、鳥山明さんやTARAKOさんをはじめ訃報が相次いだころで、わたしも父も、また誰かが亡くなったのか、と身構えた。よけい拍子抜けすることになった。とはいえ当人にとっては一大事のようで、やばいやばいやばい、あの服入るようにしないと、と言う。別に大泉も見ないでしょ、と言うのは野暮なだけなので言わなかったが、日頃見せない動揺だっただけにこちらも少し動揺する。母は人を推す。わたしは、突然若返ったような母のテンションに不自然さを覚えたり、(別にそんなことが起こるとは思ってないが)大泉がもし炎上(燃ゆ)したとき母を襲うであろう嘆き、のようなものを想像したりしてしまう。
人生の時、みたいなものが両親に訪れる瞬間をわたしはたぶんできるだけ見ないようにしていて、それは、わたしが背負ったり抱えたりする重さを両親に共有することができなかったように、わたし自身も彼らが抱える重みをまともには持とうとしていないのだと思う。そもそもそんなに悩んだり執着したり怒ったりしないほうなのではないか、とも思う。歳を重ねていくにつれその傾向はますます強まっていて、仕事から帰ってきた父は酒を飲んでにこにこしているし、母もまたバラエティ番組を見てにこにこしている。彼らがもし、生きることの重さを引き連れながらそれでも前を向く、というあり方をわたしに見せるような人々だったとしたら、わたしはいまよりずっと悩み多く家庭の時間を過ごしていただろうし、逆に分け持つことのできたつらさもいくらかはあったと思う。そう書くとネガティブに響くが、恨んでいるわけでは全然ない。わたしたちの家はそういう家だ。身の回りのことはほとんど甘えているのだし、わたしがわたしとして生きることに干渉してくることはほとんどない。わたしは彼らの変わらなさに甘えている。
一昨日、わたしが遅い飲み会から終電で帰ると、もう起きている者は誰もおらずひっそりしていて、コートをベランダに干すためにリビングに入ると、ダイニングテーブルのうえに「洋ちゃん 見て♡」と切り文字が貼られたうちわが置いてあった。彼ら夫婦は夫婦らしいところを見せない。こと恋愛っ気を出さない、といえばいいのか、とにかくベタベタしたりそれっぽいことを言ってみたりもしない。だから母がそれを作ったのだということ自体が子には信じがたいことだった。ハートマークがより信じがたかった。あとわたしは大泉をオモロバラエティタレントだとしか認識していないので、ファンサなどという概念が存在する世界がもう新鮮過ぎる。(わたしは大泉洋を一貫して大泉と呼んでいるが、うちでは始終テレビがついていてよく出てくるので、"よく会う変わった面白いひと"みたいな認識になってしまっている。よう、またお前か大泉、みたいな。)
今朝そのイベントの様子を語った母は、歳はもうみんな同じくらいのおばさんで、と言っていた。一時間ずっと喋りっぱなし、たまにお客さんイジったりするんだけど、なんかこの間合い似てるなって思ったら、タートルトークじゃん、みたいな感じだった。隣の人ともちょっと喋った。武道館行かれました…?って聞いたら行ったって言ってて、行ったんですね、わ、すごいですね。みたいな。うちわを作るひとの割には案外冷静に語っていた。よくわからないが、楽しかったならいいんじゃない、と思い、そう言う。
学生証のシールをもらいに大学に行く。12時頃に家を出ると風は残っていたが雨は止んでいて、傘を持たずに外に出られる。この前、卒業式の日、ベスト本を取りに部室に行ってそこに傘を忘れてきてしまったので、今日はそれを持ち帰りたかったのだが、結論から言えばまた今日も忘れて帰ってきた。いつもだいたいそんな具合なので、まあいいかと思っている。電車に乗り継ぎながら、なぜか無性に鶏出汁の風味が恋しくなり、お昼に醤油ラーメンを食べたくなってくる。電車ではあまり本も読まずに音楽を聴いていた。外は生暖かくて気持ちがよかった。学生証シールを配布するレーンはたしか入口側から文学学術院・文学部・文化構想学部で分かれていて、それぞれのレーンにひとりずつ配布担当の方が座っていた。学生アルバイトさんらしかった。文学部を担当している方の座っている椅子のそばの机には、ハン・ガン『すべての、白いものたちの』やサイード『ペンと剣』など多くの本が置かれていて、学生証を照合してもらっているあいだもずっと話しかけたくてうずうずしていた。話しかけはしなかった。もらって外に出ると、吹き散らされた雲はまだちらちらと残っていたが空が青くひらかれていて、春の日差しが雨上がりの景色を輝かせていた。昼食を何にしようか、先に部室に行こうかと迷いながら歩いて34号館から学館に向かい、セブンを見たあとで、違う、と思って戸山公園側の出口からまた外に出たとき、戸山公園の緑がみずみずしくて思わず「いい天気…!」とツイートする。
昼食。メルシーでラーメン。待っているあいだ『ラーメンカレー』から「ラーメンカレー」を読む。わたしの後ろに並んでいたのは3人の家族で、母親かおばあちゃんかわからない人と兄弟、弟は外にいてまでスイッチでゲームをしているのを兄と母親(?)双方に咎められていた。列に並びながら近くのコンビニで兄弟は飲み物を買ってきて、これすっぱい、いやすっぱくねぇし、甘い、いや濃いパインってパッケージに書いてあるけど薄いだろ、などと言っていた。総じて話の噛み合ってなさが面白かった。550円のラーメンを食べ、お会計で1000円を出したら、50円ある?とお店の方に訊かれたので、探したらあった。探してるとき、あるでしょ?と聞こえたような気がするけどわからない。でもあってよかった、とふたりして言いながら、店員さんはレジ台の上に置かれた「100円玉不足してます」を指さして、こういうことでねえ、と言った。ああ、そういうことでしたか、よかったです。メルシーは好きだからこれまでに何度も訪れているけれど、求めていた味といい雰囲気といい、今日ほど気分とバッチリ噛み合った日はない。『長い一日』の窓目くんではないが、昼食選びはたいてい失敗するものだ。こちらの気分と味と雰囲気と値段と立地と……要するに様々な偶然が、ピタッとハマることは少ない。今日は、ほんとうによかった。メルシー。
さっき読んでいた武田百合子『犬が星見た――ロシア旅行』の書き方を真似して、なるべく起きたことを具体的に書いてみているのだが、詳らかに書けば書くほど一日が終わらなくて困る。一日の出来事ではなくその前段を書こうともしてしまい、想定していたより説明がどんどん必要になってくることに気づく。わたしはまだあと部室の話と帰りにミスドに寄って滝口悠生を読んだ話を書くことができるのだけど、まあいいや。
地元の駅の近くのミスドに久しぶりに寄ったら、前は使えなかったクレジットカードが使えるようになっていた。ドーナツを選びながら、大学一年生のころのある日の帰りを思いだす。ふとミスドで作業をしよう、と思い立ち、その店舗に行って席を取り、ドーナツを慎重に選び、列に並び、店員さんに飲み物の注文までしたのに、クレジットカードが使えない、と判明して思考がフリーズする。現金もバーコード決済もない。申し訳なさに小さくなった声で、すみません、キャンセルで……と伝えいそいそと店を後にした。わたしもまあちょっと不憫だが掴み取られて一度ちょこんとお盆に載せられてしまったドーナツがより不憫、たぶん何度も同じ説明をしているだろうし一度受けた注文をキャンセルしなければいけない店員さんももちろん不憫。店員さんのことを思えば、決済方法を見ていなかった自分が悪いのだから自分を不憫だなんてとても言えたものではない、とも思うが、美味しいドーナツを食べながら作業ができるよろこびに胸がほこほこになっていたわたしの過去を思えば、やっぱり自分もすこし不憫だった、と言いたくなってくる。
今日は何事もなくpaypayで決済した。480円くらい。「窓目くんの手記」を読む。