2024/04/02――その時は慌てず、天井に向かって手を振ってください

atoraku
·

前日にこれを4時ごろまでリビングで書き、そのまま背後のソファへ倒れこんで眠る。テレビと、家族の朝の支度の音で一度起きるものの、歯を磨いてふらふらと自分の部屋に戻り、12時まで寝る。起きるとガス局とバイト先から不在着信がかかってきている、という夢を見たので、起きるとそれらを確認した。

幸いきていなかった。通知欄には2019年の4月2日に撮った写真と、グーグルフォトによる「あれから何年 思い出を振り返ってみませんか?」みたいなキャプションがあった。わざわざ開いて「思い出を振り返る」ことはしなかったが、その写真はわたしの大好きな先輩とのツーショットだったので、ほぼ一日中そのままにしていた。その先輩がインスタグラムで卒業式の写真をあげているのをこの前目にしたが、昨日からどんな場所でなにをしているのか、わたしは知らない。書いていたら気になってきたから、久しぶりに連絡してみようかな、でもなんて言って連絡したらいいのだろう。

朝ごはん(昼ごはん?)を食べてだらだらしてから、作業するために大学に向かう。昨日は入学式だったけど今日はどうなんだろう、と母親と会話する。来てみると、今日も入学式だったようで、しかもちょうど終わったところで、戸山キャンパスから人がわらわらと出てきていた。順番での退場にご協力くださーい、という整理員のメガホン越しの声が、しばらく、定期的に、響いていた。通りがけにドトールを眺めやると、スーツを着た新入生らしい人が何人も座っていて、机の上にマイルストーンをひろげていた。履修の相談をし合っているのだろう。入学してはじめての春学期にわたしがとった授業は、「語用論」「編集論(メディア・文化論的なやつ)」「シェイクスピア」「国際社会学」とかだったかな。一年生は必修が多くて選択できる自由科目が少なく、これだけしかとれないのか、もっといろいろな分野について知りたいけれど、と、かなり悩んで決めたような気がする。それこそマイルストーンの評判を見ながら。そうしてとった科目は、いまにつながっているような気もするし、いまとは全然興味の持ち方が違うような気もする。でも寄り道はしておくに越したことはない。

人込みから離れ、早苗に入る。(早苗は喫茶店。)わたしはここが大好きだ。大好きなのに、しかも早稲田キャンパスの目の前にあるのに、今日はあまり人が入っていなかった。わたしはゆっくりできてとても嬉しかったのだけれど。だから早苗のすばらしさについて語りたい。

いまいるお客さんに品を提供し終え、食器洗いやコーヒー豆のあれこれなども一段落したのか、三名ほどいらっしゃったお店の方は、カウンターキッチンのさらに奥、カーテンのかかった(たぶん冷蔵庫などがある)バックヤードに引き上げたり、空いている席に座ってなにか読んでいたり、もう一人の方はちょっとどこにいらっしゃったのかわからないが、ともかくいろんな業務が一旦落ち着いた感じの時間があった。それもけっこう長く思えたのだけど、それは読んでいた本に集中していたからか、いま日記を書いているときに思い返しているからなのかわからない。でも、たとえばわたしの働いている駅前のドラッグストアではありえない時間だ。つねにレジに入っていて、つねにお客さんがいて、閑散としていても品出しや掃除といった仕事が絶えることはないわたしの職場とはまったく違った空気がそこにあって、わたしはとても羨ましく思った。バックヤードからひとり、いつもいらっしゃる金髪のお兄さんが出てきて、トイレにふらっと向かった。わたしのバイト先ではお手洗いに行くとき必ず社員やアルバイトの同僚に報告しなければいけない。(しかも、直接言うのではなく、○番失礼します、みたいな隠語的な言い方をする。ちなみに9番は休憩、5番は補充だ。) 店内からひとり従業員が減ってしまうわけだから報告しなきゃいけない、という理屈はわかるが、お手洗いに行くことをわざわざ言うのにもすこし抵抗があった。だから、気軽にお手洗いに行ける空気感が素敵だと思った。早苗の好きなところは、そこに流れている時間も店員さんの応対も自然体なところだ。撥ねつけず、愛想をふりまくこともしない。提供されるメニューのひとつひとつにも拘りがあるのに、佇まいはどこまでも静かだ。店内は木とコーヒー豆のいい香りが漂い、洋楽やジャズを中心とした音楽が適度にかかっている。書いてみて、小説のなかにでてくるお店みたいだ、と思う。わたしの陳腐な言葉では、"いかにも""ちょうどいい"喫茶店、みたいになってしまう。うまく説明できなくて悔しい。同時に、わたしはこんなに早苗が好きだったのか、とも思った。

ちなみに1。早苗のお手洗いの電灯には人感センサーが付いていて、10秒動かないと電気が消える。便器に座ると、正面にその旨が書かれたテプラが見えるように貼ってある。「10秒動かないと電気が消えます/その時は慌てず、天井に向かって手を振ってください」。センサーに気づいてもらうための行動の指示まで書いてあることに可笑しさを覚えつつ、ゆるさと切なさとが相まって不思議と詩情すら感じる。誰も見ていない閉ざされた空間で、誰へも届かないが手を振ってみる。今日も案の定電気が途中で切れたので、天井に向かって手を振った。気恥ずかしくも愛おしい感じがした。

ちなみに2。今日カウンターで店員さん同士の会話を漏れ聞いていたとき、このお兄さんは、前のお店でコーヒー挽いてたときはさ、と言っていた。前から、このお兄さんは何者なんだろうと思っていたのだが、今日、よりわからなくなった。見た目は若い感じだけど、話を聞く限り前職がいくつかありそうで、喫茶店での経験も豊富そうだった。年齢不詳、という言葉のなかにお兄さんの姿がぼやけていく。

友人と夜ご飯。夢の話、最近読んでいる本の話、中高生時代の創作の話などをした。わたしが、ぴりぴりなものが食べたい、と言い、ぴりぴりなものを探しつつ歩いた高田馬場までの道でタイ料理屋を発見し、そこで食べた。友人はガパオライス、わたしはガパオラーメン。ぴりぴりだった。食べていると店員さんが来て、空気を入れ替えたいのだけどドアをあけたままにしていてもいいか、と聞いた。いちばん外に近い席だった。でもぴりぴりとあったまっていたから全然大丈夫で、わざわざ聞いてくれるなんてありがたい、とわたしも友人も言った。お店を出るとき、店員さんがタイ語でなにか言ってくれたのだけどわからず、次来るときはごちそうさまでしたくらい覚えてから行きたいね、と話す。いま書きながら、ごちそうさまに相当する表現は果たしてあるのだろうか、と思って調べると、お腹いっぱい、という意味の言葉を食後によく言うらしい。ありがとうは「コップンクラップ(またはコップンカー)」、お腹いっぱいは「イムレーオ」。

帰るとき、なぜかOasis「Don't Look Back In Anger」が聴きたくなる。しばらく考えていると、夜ご飯を食べた友人がはじめて打った演劇公演で使われていた曲だ、と思いだした。それが急に聴きたくなった理由かはわからない。