ファッションわかんない問題

atoraku
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公開:2026/5/5

小学生の時から履いてるユニクロのジーンズに足を通し、シワの寄った古着のシャツを羽織る。親戚の誰から譲り受けたのか覚えていないがお下がりのベージュのコートを着て、シャツのシワが目立たないように前を全部閉める。リュックは無印のよく見る黒いやつ、スニーカーも適当に買ったナイキのよくわからない安いやつ、アクセサリー類は特になし。きょうの装い、そしてこんな感じの日々。こんなものでいいのだろうかとやや怯えやや開き直って過ごしている。おしゃれはわからない。

それでも街に出るとおしゃれな人ばかりだと感じる。みんなそれぞれのスタイルを持っているように見える。道行く人が身に着けているどのアイテムが高い服で、どんな格好がじつはダサいのかみたいなことも当然わからないから、意識をなんとなく他人の服に向けながら4,5分歩いているだけで「全パターン見たな」みたいな気持ちになる。なんかいい生地っぽいジャケパンもいいよね、ワイドめのストリートスタイルもいいよね、アディダスっぽいジャージやラインパンツもいいよね、だけど違いがわからない。J-POPを聴いたことがない人間がそれに初めて触れて「パターンが全部いっしょでつまらない」と言うようなものかもしれない。そもそもすべて既成品なのだからまったく別のモードはありえない。が、そう考えると途端につまらなくなってくる。

恥ずかしくない格好がしたいが、その線引きにも自信がない。価値観が多様すぎて何を恥ずかしいとする視線を内面化するべきか全然定まらない。そもそも服を大量に作って大量に売るみたいな構造それ自体にあまりノレない。私の目はすべてをユニクロに映す、私の欲望はユニクロでいいじゃんに抗う、私の理性はユニクロ的産業構造を拒絶している。こんな人間が服を着て何を楽しむというのだろうか。ただ何も考えないようすべての衣服を制服化したり服の扱いを軽んじたりすることに甘えているのは周りの人へ礼を失することになるような気もする。

アイテムやブランド自体についてるキャプションや歴史についても価値がよく理解できない。ストーリーを着てようがスタイルを引用してようが知らん人は知らん。ファッション界隈のなかでウケるファッションに見える。最近の"文学"が文学シーンのなかに自閉していてそのルール内で上手いやつを持ち上げてるだけで外からは全然価値のあるものには見えていないみたいなことに似ている。すでに失墜している何か。

つまりあるかなきかの「私」の表現可能性についての話だ。絶対的に新しくある必要はないけど、私含め私の服装を見る人が私にどこかしらスタイルやこだわりを見出す余地や契機がありうるかどうか。私は言葉の面でそれを(かなり素朴に)信じている。私に文章力があるとかではないけれど、こだわって書いたものが読まれてそれまで思いもよらなかった良さを誰かが見いだしてくれるということそれ自体はふつうにあると信じられるし、そこで感じられるかもしれない大きな喜びにかなりの程度賭け金をおける。つまるところ私は私の「等身大」を身なりの面で云々されることには全然頓着がないのかもしれない。