宮城県の民話を「採訪」する「みやぎ民話の会」の小野和子は、民話を聞くときの姿勢に「あったることとして聞く」ということを挙げる。民話や昔話には荒唐無稽であったりあまりに残酷であったり、現代の倫理観でいえばかなり「ひどい」と感じられるような話も多いが、それを「あったること」として聞く小野和子は、民話の裏側にある人々の息まで聞きとろうとする。人生に課せられた抑圧や厳しい生活の影が、語られる言葉のあいだからしみ出てきたとき、話が「立体的」になり、「腑に落ちる」体験をする。こうしたお話がある、と書物や伝承を繰って採集するだけでなく、遠くまで歩き、車を走らせて小さな村へ、語り手のもとを直接訪れる「採訪」を長年続けてきた小野和子によって聞かれたからこそ息を吹き返したお話が、数多くあることだろう。聞き手がいなければ語りの場は生じえない。もちろん、実際に語られた物語は、無数の「語られなかった物語」の存在をわたしたちに示してもいる。
酒井耕・濱口竜介共同監督によるドキュメンタリー、東北記録映画三部作は、震災直後の人々の語りを記録する「なみのおと」「なみのこえ気仙沼/新地町」と、宮城県で長年行われてきた民話採訪を背景に、その活動の中心的な聞き手である小野和子と三名の語り手との対話がおさめられた「うたうひと」によって構成される。早稲田大学映画研究会はこのドキュメンタリーの上映企画を組み、二か月前、告知直後にわたしはすべてのチケットを取っていた。一作目である「なみのおと」は以前観たことがあった。下北沢K2で、2021年で、3月だった。
震災を経験した各地の人々に、あの日のできごとやあの日以前のできごとを語ってもらうのだが、聞き手が酒井・濱口の場合であれ、夫婦や姉妹など関係性のある方々同士のおしゃべりであれ、なんというか「すごい地点」まで撮れている。私秘的だが聞き手がいないと引き出されないその人自身の深い場所、近しい人々のあいだに横たわる隔たり、こちらに聞く覚悟を求めてくるような率直な「声」がごんごんと鳴る。ドキュメンタリー映画だが、「被災者の語り」というパッケージを被せられたような言葉が語られるのではなく、かといってその人も望まない裏側を隠し撮っているわけでもない。語る者はあくまで主体的にカメラに向かっているのだが、カメラによって、また語りによって、当人にも思いがけない自分自身を語ってしまう。小野和子の言うように「聞く」ことと「語る」ことは自己を更新していく作業であり、また非常に暴力的なことであるのも間違いない。これまで語ってこなかったことを語ることで、人々の関係性は明らかに変わってしまうかもしれない。しかし、ひとたび予想もつかない形で土地を、大切な人を、自分たち自身を失った者にとって、語ることは新しい意味づけの作業でもあり、傷の在り処を確認する時間でもあり、明日に向かうための抵抗の時間でもある。酒井も濱口も、この映画は「フィクション」として撮られた、と語っている。そのようにカメラの前に立つことを決め、またこのように映画として撮られることを決めた彼らの存在は、わたしにとってとても大きなものに見える。
実際、二日間でそれぞれ5時間くらいずつこうした映画を観つづけるというのは大変なことで、どっと疲れたり集中が切れてしまったりきつい気持ちになったりすることも少なくはなかった。なんとか眠らずに観ていたので、10日はとても眠かった。
さて、映画自体の凄さや、個々の語りに具体的に引き出された記憶や感想はいったん措いて、ここからはすこし愚痴めいてしまうのだけど、この企画を主催した早稲田大学映画研究会にこの三部作へのリスペクトがどれくらいあったのか、ということは疑問に思った。
ナレーションの言い間違えや、二日目のトークイベントで民話を「民謡」と言っていたこと、酒井・濱口の共同監督作品なのに「濱口映画」のように括られ位置づけられて話が進みがちなこと、上映中の出入りが激しかったことなど、些細なことかもしれないが気になるところが多かった。小野講堂という地下にある会場の立地もあるだろうけど、全体に、部内の集まりに「迷いこんだ」感が強くてあまり落ち着かなかった。
何より許しがたかったのは、ドキュメンタリーに登場する方々の人となりや発言内容について判断するような言葉を休憩中に耳にしたこと。それにどう思うかは鑑賞者ひとりひとりの自由だとしても、ジャッジする資格は誰にもない。映画に登場するひとりひとりが、百年後も残るかもしれないフィルムに記録されることを選びとったという事実を、わたしはもっと重く受けとめるべきだと思った。それに、2024年に生きる、東京都新宿区に来ることのできる大学生の立場で、彼らの人生や生活について何事か言いうるだろうか。むしろ、彼らの生きる環境や過ごしてきた時間やふるさとに対する実感からくる言葉には、いまを生きるわたしたちが一緒に取りくむべき問題を突き付ける力があった。「あったること」として映画を観る姿勢が、わたしたちには求められていたのではないか。
もちろん、観た者の内側ではそれぞれ様々な思考や記憶が渦巻いていたに違いない。しかし企画・運営という点では、『悪は存在しない』公開の時期に重なっていたこともあって仕方ない部分もあるかもしれないが、濱口竜介監督のファンという文脈上だけで終始してしまったような印象を受けた。もっとも、石橋英子にライブの記録映像を依頼されながら、それと対峙するには自分にはこうするしかないと自ら新作の劇映画を制作した濱口竜介自身の姿勢には、対面する者への畏れと覚悟を忘れない小野和子の「覚悟」がいまもなお流れ続けているように思える。