小学四年生の頃、レクリエーションでプールを一時間貸し切り、各々自由に遊んでいいよと、先生が時間を設けてくれたことがあった。
本当に楽しみにしていたのに、病名は忘れたが胸が苦しくなって呼吸もままならなくなる症状が発現して、大事を取って見学せざるを得なかった。
私の家はテーマパークや旅行は疎か、市民プールのようなところさえ出かけることのない家庭だったし、子供だけでそういった場所に行ける環境でもなかったので本当に悲しかったのを覚えている。みんな楽しそうだったな。普段の水泳の授業では使わない備品とかも使わせてもらってて。
さらにその症状が出たのが夕飯を食べている最中で、父に「もう食べたくないからそういう演技をしているんだろう」と怒られたことも覚えている。
こういう小さなできなかったこと、ショックだったこと、そういう棘がずっと刺さり続けている。
その棘をこの先の人生もずっと抱えていくんだと思う。
と、お風呂に入りながらふと思い出して感傷に浸っていたわけですが。
どうにかツイッターでわあわあ騒げる程度にはメンタル復活。躁のときほど何してても楽しい! みたいな心の盛り上がりはないが、まあバランスを考えたらこれくらいが一番ちょうどいいのかもしれない。
躁のときって周りも自分も見えなくなるから絵下手くそになるしな。割とまじで。
あと今日は歯医者の日だった。まー歯医者も最初は物珍しかった(?)が何度も行っているとあんましやられてること変わらないし、つか何やられてるのかいまいちよくわかってないし、もう特筆すべきでもないそんなに変わらない日常の一部だな。いいことだ。