ひらり

attaka
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ひとりぐらし

 漠然と、一人暮らしに憧れがある。

 世間一般の大学生、というよりいわゆる若者に多く存在する感情をわたしも持っている。ひとりの、なにかに侵食されることのない安心のたる空間で生活してみたい。これが一人暮らしに対する感情に近い。けれど、構ってくれる人がいないのは寂しい。ただ自分が好きだと思うものだけを集めて部屋に詰め込みたい。機嫌のいい時のお母さんとか、ふかふかの布団とか、ぎっちりと、わたしの好きな本だけが詰まった本棚とか。それこそ、同棲もしてみたい。

 でも、現実にはしたくない。そんな熱意もない。こういうふうに憧れのままにしておきたい。

 具体的な現実が絡まってくるとお金の問題が必ず付きまとう。住む場所の治安とか、なにかしらの現実的関門がふんわりとした心地よさに混ざってしまう。なんなら、押し潰してしまう。ほよほよの焼きたてのシフォンケーキを、ぎうぎう押しながら型から取り出そうとしたらしぼんだまま戻らなくなるみたいに。

 全てをきれいなままにしておきたい。

 最近、花がびっくりするくらいきれい。外濠公園沿いの桜並木は1年前より格段と綺麗に見えて、すごく嬉しい。嬉しいのなかには、その桜の色味のやわらかさに対しての喜びや、わそわそとゆれる花へのいとおしさとかがまぜこぜになっている。

 自分に余裕があることも一因の一つだろう。大学で友達も増えて、すべてをまかせてもいいと思える恋人もできた。大学をあまり恐れなくなった。どくどくとイヤな心臓の音があまりしなくなって、下をむかないで前を見るようになった。

 だからこそ、花が綺麗。人間としての機能が、いつも以上に元気になっているから。花は花としてそこで存在しているに過ぎず、自分が感じ取ることができるかどうかである。今の、花が綺麗に見えるうちに、花瓶を買いたい。

 色

 編み物をしている。最近の流行りに乗せられて。ちまちまと編み目を数えて、ひたすらな単純作業を繰り返すのはなにも考えないでいられるからいい感じだ。様々なやるべきことは滞るけど。

 編むにあたって、やっぱり派手な色の方が毛糸の時は可愛く見える。編み上がって、それを身につけるのが自らであるという観点を除くならそれでもいいのだけど。完成形を想像して、やはり派手かと思い最終的に白黒になる。パンダ。