駅の西口から出てすぐに、わそわそと桜の木が揺れているのが見えた。ざらざらと歩く大衆は大抵スマホを見ていたけれど、その日はその白きばけものに釘付けになっている人もちらほらいる。
彼女が主役だった。日差しはまんべんなくあたりに降り注いでいたが、その中でも格別の。
ドキドキして写真を撮りたくなったが、周囲の目が気になってできなかった。でも、写真に収めてしまったらきっと違うのだろう。視覚の中にいるから、余計に美しい。
最近、ヤケに花が綺麗に見える。
桜並木をみて新鮮に美しいと思うし、歩道の花壇に植った名も知らぬピンクにときめく。住宅街に咲く極彩色のチューリップに惚れ惚れして、写真に収めてしまうほど。今年になってから花が鮮明に目に入るようになった。今まではぼやけたフィルター越しに、単なる景色として脳が処理していたそれが、ぱっきりと、一存在として主張している。
花が好きな延長として花屋を冷やかしに行くようになった。飯田橋に新しくできた花屋は広く、ぼんやり店内を見るだけ見て出て行ってもいい、ような気がする。外から見てもぎっしりと花が詰まっていることがわかり、どうしても足が向かう。その、所狭しと花桶が並ぶ中に、シャクヤクを見た。それがひどく印象に残っている。まあるく、ほよんとしたフォルム。たっぷりの花びらがとても豪奢で、気品高い。手に入れたいとも思ったけれど、家は花を置けるような環境じゃない。ここで見るのが一番綺麗だ。
今日西口から見えたのは、全体が緑っぽくなった彼女である。それを見て漠然と、汚くなったな、と思ってしまった。
わたしが花に鮮明な美しさを見出すようになったのは、閉塞した室内にいることが増えたからなのだろうと思う。過去2ヶ月の春休み、ロクに外に出なかったから。出たとしても、窓のないバイト先の本屋。その反動として花々の色彩の美しさにパッと目を惹かれ、綺麗だと想う。花の限定的な美しさを消費している。