15年間の卓球生活で学んだことをひとつあげるとすると「卓球が人生の全てではない」と思えたことだ。
生活のほぼすべてを卓球にあてて、卓球で大きく悩み、卓球でたくさん喜んできた。友達もほとんど卓球仲間だった。そんななか卓球を辞めることは容易ではなかった。それは卓球が「人生の全てである」と思い込んでいたからだ。
そして、辞めた直後も喪失感がすさまじかった。それは「人生の全てである」卓球を失ったと思い込んでいたからだ。卓球中心の生活しか経験がなくて、どう生活を進めたらいいか、楽しんだらいいかわからなかった。
そのなかでいろんな趣味を見つけて、友達ができて、楽しいことが増えたときに「卓球が人生の全てである」という思い込みを外すことができた。途中途中でしんどいときは多々あったが、それは自分にとって本当に価値あることだった。
「今やっていることが全てではない」と思うことは簡単ではない。それが重要な意味を持っているほど、熱意を注いでいるほど「これが全てだ」という想いが大きくなる。仕事でも生活でも対人関係でも。
そのなかで「今やっていることが全てではない」と思いながら全力でやる、という相反するようなものを両立しながらやっていくことが大事だと考える。
全力でやりながらも、別にこれを失っても大したことはない、また違う何かを見つければいい、という気楽さが、抑圧から解放され、自分を自由に飛び回らせるバネになるはずである。