日記(2025/12/3-12/5)

八月の光
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公開:2025/12/6

2025/12/3

 体調、順調に復調気味。でも咳が少し出るので、嫌いだけれどマスクをつける。マスクを着けていると酸欠になって頭痛がしてくるので、とても嫌い。近日中に控える大きなイベントのために、急ピッチで作業を進める。支援者への説明会など色々とやることはあるのだが、病み上がりで体がつらくなってき、21時ごろに退勤。

 帰りの電車の中でサミュエル・ベケット「モロイ」を読み終える。最初から最後まで面白く読んだ。ひとつのテーマとして「旅」あるいは「帰路」というものがあるのではないかと感じる。旅に出ようとしたら、それが知らず知らずのうちに帰路であった、というべきかもしれない。旅といっても、どこに向かっているのかも、何を探しているのかもよくわからないのだが。どこかにいこうとして、結局は同じところに戻ってくる、というのがミソなのかもしれない。輪廻、あるいはウロボロス構造の世界。結局モロイはどこに行ってしまったんだろうか。どこまで行けたのだろう。既に手元には「マロウン死す」があるのだった。

 体調が回復してくると、色々とやりたいことが出てくる。料理をしたくなって、帰りのスーパーで鍋用野菜袋と豚肉のこま切れ肉を買い豚汁を作ろうとするが、冷蔵庫に酒粕があるのを思い出して、粕汁とする。眠くて味噌を入れすぎ、水を継ぎ足したら鍋いっぱいの量になった。

2025/12/4

 朝が起きられないので、昨晩作った粕汁が食べられない。自宅から駅へ向かって歩いていたら、猛スピードで走る自転車の男から「邪魔だ」と暴言を受ける。男は減速も進路変更する気配もなく、酔っ払いか何かだったのかもしれない。もらい事故のようなもので、自分から避けようがないが、不愉快であることは変わりない。小柄な女性という属性自体が動物本能的に下に見られやすい、というのは今までの人生で何度も体験し歯がゆく思ってきたことだ。今季中自転車に乗ろうとするたび静電気に苦しむ呪いをかけた。

 仕事、ひたすらに仕事。イベント前はもっとばたばたするもののはずだが、妙に落ち着いており、むしろ落ち着かない。これまでずっとせわしなかったのでそうでないと違和感がある。同僚からは「思ったよりばたばたしないのは、早め早めに準備してきたからだ」と言われるが、主務者としては何か調整漏れや準備忘れがあるのではないか、と気が気でない。

 22時に退勤。帰りの電車の中でミシェル・ザウナー「Hマートで泣きながら」を読み終える。壮絶なケア・看取りの記録であり、アメリカ育ちのアジア系女性がいかに母国(ミシェルに敬意を表してあえて「母国」と表現するか)との精神的・文化的繋がりを維持しようとするのか、何にその繋がりを感じるのかの記録でもある。ミシェルの場合は、韓国料理だった。韓国料理は母との繋がりでもある。韓国料理が食べたくなる。ビビンパなどを食べたい。鶴橋で食べた焼肉の味を急に思い出した。

 予定の立て方が馬鹿で、今月(というよりも今年)でまともに自宅にいる日があと2日しかない。仕事や帰省などで。その2日だって仕事でつぶれるかもしれず、大掃除をする暇がないことに気づく。少しずつやるしかない。今日は排水溝周りを掃除し、パイプユニッシュを流し込んだ。

2025/12/5

 とても寒い。今朝の東京は2°Cだったらしい。床暖房を起床する時間にあわせて予約するようになったところ、あまり朝が辛くない。最近新調した毛布も軽いのにとても暖かい。

 体調はもう少しで全快。しかし朝は起きられず、朝食をとらずに家を出て、職場近くの駅のタリーズでカルボナーラを食べた。炭水化物と脂だけの味。とてもおいしい。おいしいものを食べると、自分で料理をしたくなる。最近電子図書館を使いはじめ、くどうれいんの食エッセイ「湯気を食べる」を電子書籍で読みながら食べる。

 くどうれいんを読むのは2度目のはず。随分前に川賞候補になった小説を読んだが、その時の感想は「私には柔らかすぎる」だった。歯ごたえがなく、味がしないお粥を食べているようだった、と今思い出す。硬質な文章が好きな人間が読むこと自体、そもそもお門違いだったのだろう。今回は面白く読んでいる。自分の経年変化もあるのかもしれない。

 愛妻弁当のくだり、《夫にお弁当を作るのが普通になると、いつか「作らなかったとき」「作れなかったとき」にそれぞれが意味を持つことになりそうでいやだ》という言葉に頷く。Sの転勤まで一緒に住んだ4年間、ずっとお弁当を作っていた意地はまさに「作れなかったとき」が勝手に意味を持って主張し始めたからだったと今なら思う。あのときは、「頼まれたわけじゃないし、好きでやっている」と思っていたが、Sが転勤してから自分の弁当しか作らなくなって(今の時期は忙しすぎて作れないけれど)、正直なところ気持ちが楽だ。朝夕の食事も明らかに手を抜き始めた。仕事で日付を超えて帰宅しても、必ず自分とSのお弁当を作っていた、あの熱意はなんだったのだろうか。頼まれたわけでもないのに。好きでしているはずの料理が、いつのまにか自分に課した義務になってしまうのは、存外苦しい。

 明日がイベントのため、職場にとまる。シャワー室のある棟に向かって歩いていると、満月で明るい。冬の星座も良く見える。明日は大過なく終わってほしい。

@augsutus
主に日記を書いています。