日記(2025/11/2)

八月の光
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公開:2025/11/3

 10時間ほど寝て体力を回復。しかし、夢の中で仕事をしていた気がする。3連休の間は仕事のことを考えない決意だったのだが、夢の中までは止められなかった。昨日の鍋の残りの野菜で味噌汁を作り、古代米入りの炊き立てご飯と、納豆や漬物を食べる。それからトマトに柿。心をも満たす食事。久しく料理をして、心から回復していくのを感じる。

 北上して下北半島を目指す。昨日の激しい雨から打って変わって、今日は天気が良くドライブ日和。どこを走っても紅葉が美しくて、よそ見をしそうになるので危ない。2時間ほど走って恐山に到着。まずは食事処で山菜そばを。素朴な醤油ベースのつゆが美味しかった。

 霊場と呼ばれる恐山は曹洞宗の寺である(と今日知った)。山門から境内に入って歩くと、賽の河原へ道が続いていく。ところどころに立つ仏像、硫黄の臭い、風に吹かれて回る風車のカラカラという音。腐食した硬貨、綺麗なままのアルミの1円玉。閉山期間に入ったためか、人は少なくひっそりとしており、耳元でびゅうびゅう音を立てる風が余計に寂しさを引き立てる。長い年月にわたるたくさんの人の祈りが石となって、ここに積まれて、この景色を形作ったのではないかと感じられるのだった。

 賽の河原を抜けると極楽浜へ。宇曽利(うそり)湖畔の波は穏やか。この「うそり」という言葉が転じて「おそれ」となった説があるそう。

 下北地方では「死ねばお山(恐山)に行く」と言われているそうだ。これは仏教の「往生」の死生観とは異なる。しかし、ここは仏教の寺として存在しているわけで、こういうところに興味が掻き立てられる。古来からあった土地の死生観に、南からのぼってきた仏教の死生観が融合した姿が今の恐山ということだろうか。イタコの口寄せも、仏教の死生観とは一線を画しているように感じる。東北の信仰の歴史をもっと知りたくなる。見知らぬ土地を訪ねる愉しさはこういうところ。

 境内に共同浴場がある。小屋の中に浴槽だけがある、なんとも素っ気ない浴場だった。硫黄成分の強い湯は、浸かると全身が硫黄臭い。境内に4箇所あり、1箇所は混浴らしかった。Sと入ってみたかったが、歩き回っても見当たらず。残念。

 日が暮れて、明かりのない上に雨が降っている山道の運転が怖い。なんとか家に到着。夜、鯖缶と白菜でカレーを作る。家を温かくして焼酎や日本酒を飲んでいたら、居間で寝てしまった。

@augsutus
主に日記を書いています。