2026/9/22(火)シルバーウィーク前になんと台風25号が発生して、ずっとその進路予想を見ながらやきもきさせられたのだった。新幹線によるルートも用意していたが無事台風は通過していき、羽田空港へ向かう高速バスの中で朝日を見た。6時半頃に新千歳空港へ向けて飛び立つ。よく晴れていて富士山も綺麗に見えた。先日行った大間崎、下北半島、八甲田山もはっきりと見える。
9月の北海道にどんな服装をして行っていいのかわからなかった。新千歳空港から電車に乗って札幌駅に降り立つと、寒くもないし暑くもない、風が吹くと確かな秋を感じる、そんな気候。今日の目的地である稚内へ向かう電車の時間まで3時間弱。短い時間なのでどう過ごしたものか、いくつかプランを練っていたのだが、北海道大学の校内をぶらつくプランにした。札幌駅構内にあるサンドイッチ自動販売機前に行列ができていて(これが例の『サンドリア』かあ…)と思い、並んでみる。『サンドリア』というのは、札幌の有名サンドイッチ店らしい。エッグサンドが一番人気らしいが、ザンギサンドにしてみる。北大内にある木陰のベンチで朝食にする。3時に起きてから何も食べていないので、余計に美味しい。

このボリューム。味が濃いので冷めていても美味しい。ひとつ平らげて何気なく成分表を見ると、1個包装あたり800キロカロリー超えており仰天!

北大の自然豊かな広い校内には、ランニングしている人、散歩している人、写生している人など老若男女がいて大学というよりも広い公園のようだ。博物館があって、誰でも無料で見て回ることができる。札幌農学校から始まる北大の歴史、研究成果、国際的な取り組みなど盛りだくさんの内容だった。スラブ・ユーラシア研究センターの展示に特に惹かれる。カムチャッカ半島における先住民の言語収集の取り組みの展示が面白かった。あまり時間もないので駆け足になってしまう。
さて、札幌駅に戻って、今度は鉄道の旅。特急ライラックで旭川まで、そして特急サロベツで稚内まで。約6時間の鉄道の旅。札幌駅の売店でおやつを買い込んだ。当初は駅弁を買うつもりだったのだけれど、個包装の北海道銘菓たちが並んでいるのを見て心奪われてしまった。贅沢な大人の遠足おやつという感じだ。上限金額はなし。大人なので!

羽田から直接稚内空港へ飛んだ方が安い上に早いのだが、わざわざ鉄道の旅程を組んだ。旅行の楽しさは移動の時間にあり。自分で車を運転するのも好きだし、鉄道もいい。弁当やお菓子を食べたり、車窓を眺めたり、本を読んだり、心地の良い揺れに身を任せてうとうとしたり、それだけでいい。景色は流れて変化していく。山岳、森、河。時々人工物と人の暮らし。聞き慣れぬ地名。畑、水田。草原に鹿の親子が電車を振り返る。別のところでは鹿の群れ。寝そべる牧場の牛たち。空に鳥。日の陰影。北海道の驚異的な自然を前に、よくぞこの大地を開拓して畑を耕し、道を通し、鉄道を敷き、町を築いたものだと北海道開拓の歴史を思う。
鉄道に沿って流れる天塩川。

平原の向こうに利尻山。

だんだん日が傾いてくる。この旅行のお供はジュリアン・グラック「シルトの岸辺」だが、初日にして残り100ページほどとなり、心許ない。

18時前に終点の稚内に到着。流石に肌寒い。駅近くの今日の宿に荷物を置いて食事へ。駅前から少し離れてしまうと街灯も店も少なく、暗い。商店街もシャッターが降りている店が多く、うら寂しい雰囲気。セイコーマートが煌々と人の気配を灯す。目当てにしていた居酒屋は予約客でいっぱいでフラれてしまったので、ご当地グルメを出すラーメン屋へ行った。チャーメンという食べ物だが、焼いた麺に海鮮入りの餡掛けがかかっている。濃い目の味にサッポロビールが上手い。

地元のスーパーをぶらぶらし、港近くにある温泉施設へ行って汗を流す。施設のトイレの扉にキリル文字の「Ж」が書かれてあり、なんだろうと思い、一呼吸して(なるほど、женщинаか)と納得する。ロシア語で「woman」の意。なお「man」はмужчи́наで、象形としては英語のアルファベットと同じで、扉には「M」の文字。かつて稚内は日露交流が非常に盛んだったそうだが、今はロシア側の規制強化で廃れてしまったらしい。サハリンとの定期航路も途絶えて久しいそうである。トイレの扉にかつての時代の名残を感じる。またいつの日か日露友好の時代が訪れんことを。セイコマで買ったモナカを食べながらお宿へ帰った。明日に備えて早く寝てしまう。
2026/9/23(水)稚内港から朝イチの船に乗るため早起き。港前の小さな食堂で朝食にする。肉厚なホッケの定食だった。朝日を浴びる稚内の町を歩いてみると、昨夜は暗くて気づかなかったのだが案外ロシア語が溶け込んでいるのだった。商店街の中や、道路標識にもロシア語が。


ふらふら歩いていたら、出港の時間が迫ってきたので急ぐ。ハートランドフェリーが運行する「サイプリア宗谷」に乗っていざ利尻島へ。出港すると、楽しげな音楽が大音量で流れてくる。なんだこの平成1ケタっぽいメロディは。Shazamで調べると「稚内Do!」という地域振興ソングらしい。ダ・カーポの「宗谷岬」という名曲がすでにあるのにと思うのだが、《What can I do?稚内どう?》という韻を踏んだサビ、最初は「うまかないわ」と思っていたが、繰り返し聴いていたら癖になってきたかも…
やがて海上に礼文島、そして利尻島がその姿を現す。利尻山は又の名を利尻富士といい、その堂々とした山容は富士のようでもある。

旅のお供であるグラック「シルトの岸辺」は、300年間に渡り戦争状態にある(ただし交戦は長い間なく、しかし休戦条約も交わされず、長い間眠ったようにある奇妙な戦争である)国の若い貴族将校が、国境の海岸の砦に配属されるという小説だ。国境近くの海に行くなら「シルトの岸辺」でしょう、という単純な理由。その中で、青年将校が恋人ともにある島を訪れ、そこから洋上の火山島を見る場面がある。洋上に突き出た利尻島は、その火山島を強く思い起こさせるのだった。これも旅の偶然の面白みよ。
そして、たちどころに、私は見た。一つの山が海から突き出ているのだ。暗くなった空を背にして、今はもうはっきりと見分けがつく。白い、雪のような円錐形が、いま昇ろうとする月にも似て薄紫色の軽やかなヴェールに乗って水平線を離れ、宙に浮かんでいる。まったく孤独に、真っ白な雪をかぶって、完全な左右対称の形に盛り上がっているところは、氷海の入口にそびえるきらきらした灯台のようだ。
(ジュリアン・グラック「シルトの岸辺」安藤元雄訳、岩波文庫、235-236頁)
今日の利尻山は雪ではなく雲を被っているけれど。

約1時間半の船旅で利尻島へ到着。鴛泊フェリーターミナルに到着し、レンタカーを借りてさっそく出発。利尻島初日はゆっくりと観光地巡りをするつもりだった。利尻島はほとんど円形の島で、海岸線に沿うようにぐるりと道路が通っている。一周約60キロ。信号もほとんどない。この環状道路を走っていけば、島中の観光地をほぼ網羅することができる。利尻山を含めた島の景勝地の多くは利尻礼文サロベツ国立公園に指定されている。
島を時計回りに走り始めたので、常に左手に海、右手に利尻山になる。海の青さと空の青さ、平原の緑のコントラストが素晴らしく、視線を誘われる。この日は晴天、窓を開けて走ると潮風が心地よいのだった。オタトマリ沼、姉沼、南浜湿原などの景勝地が点々とある。沼地の周りにはハイキングロードがよく整備されていて、とても歩きやすい。ビュースポットには写真を撮る人が多くいるが、ハイキングロードにはほとんど人気がないので、のんびりとハイキングができる。

島の南部、仙法志の海岸。

あてどなく走っていると、町立博物館を見つける。こういう地元の博物館は、大体面白いと相場が決まっている。内容は盛りだくさんで、有史以前からの島の歴史の展示はなかなか見応えがある。縄文時代からすでに人が住んでいたらしい。日本の国家機構に組み込まれたのは江戸時代で、松前藩の場所請負制(蝦夷地における支配体制である)に組み込まれている。19世紀初頭になるとロシアの圧迫と蝦夷地幕領化に伴い、東北諸藩に北方警備が命ぜられる。会津藩士が利尻島でのその任に着いたが、厳しい環境の中で命を落とす者も多かったのだとか。
昆布漁の様子の模型。味があって良い。

島を一周して、フェリーターミナル近くまで戻ってくる。少し遅めのランチに、帆立のフライのカレー。肉厚の帆立が美味しい。

さて、もう一周時計回りに島をぐるりと走る。午後の光を浴びて、海の光り方が変わる。利尻山の頂の輝き方も同様。海辺にある温泉に入ってから民宿にチェックイン。近くの小さな港まで夕陽を見に歩いていく。夕方の風はさすがに寒い。


手頃な値段の民宿なのでそれほど期待もしていなかったのだが、夕食は海の幸料理、お刺身やウニもあって大満足。ウニの美味しさがよくわからないできたのだけれど、美味しいのかもしれない。旭川の日本酒「男山」を飲み、早めに寝た。
2026/9/24(木)6時過ぎまでゆっくりと寝て、朝食をいただいてから礼文島行きの船に乗るため鴛泊港へ向かう。乗船まで時間があるので、港近くの展望スポットのペシ岬へ行ってみる。港の背後に突き出す小高い丘のような形。今日は曇天気味で、雨もぱらつく。かなり肌寒く、利尻山の山頂も分厚い雲を被っている。

少し登ると墓石がある。厳しい北方警備の任務の中で命を落とした会津藩士の墓だそう。島の何ヶ所かに分散しているそうである。汽笛に振り返ると、ちょうど稚内へ行く船が出港するところ。大漁旗を振って見送る人たちの声がする。

今日はボレアース宗谷に乗って礼文島へ。レンタカーを航搬するのだが、ハートランドフェリーはバックで車を入れる。車を乗せて2等室でくつろいでいると、ツアーの団体が乗り込んでくる。海は時化ているらしく、結構揺れる。隣に座った登山客と話しているうち、1時間足らずで香深(かふか)港に入港。
礼文島には岬に沿ったトレッキングコースが複数あってそのためにきたのだが、船は10時すぎに着いて、そして15時半に出港する利尻行きにまた乗らねばならない。乗船手続きなどの時間を考えると、自由になるのは5時間程度しかない。目的地を一つに絞ればよいのだがどれも捨てがたく、移動時間や経路を入念に調べて作戦を練り、タイムアタックをすることにした。
礼文島は南北に長く26キロほどある島。香深港から約20キロを、雨がぱらつく中北上していく。海外線沿いの道を走って11時前にスコトン(須古頓)岬に到着。国立公園の一部を成している。天気が良ければサハリンが見えるのだが、この日は見えず。少し車道を歩いてからトレッキングコースへ入る。
季節がよければ高山植物の花畑が広がっているのだが、ススキが揺れている初秋の道を歩いていく。時折りカモメがふわりと飛んでいく。風の音と潮騒の音しか聞こえない。1時間ほどでゴロタ岬へ到着。小高い丘になっており、360度絶景だが、駐車場がないためにスコトン岬(または澄海岬)から歩いてくるしかない。歩いたものだけが見ることができる景色。観光の団体客も来ないようで、絶景を独り占めできる。左の岬の先っぽから歩いてきたのだった。

しばし眺めて、来た道を戻る。来た時は海に背を向けて登ってくるので、降りる時は海が正面になるのだが、「景色があまりにも綺麗だったから…」という理由で滑落を起こしそうなほどの絶景なのだった。ゴロタ岬の丘を降り切った頃、雲に隠れていた太陽が出てきて、野山も海も輝き始めた。

13時前にスコトン岬へ戻って、すぐに再び島を南下。左手には海上に利尻山が聳える。13時半頃に次の目的地、桃岩遊歩道入口に着いた。ここも国立公園の一部を成す。船に乗りそびれるという事態は絶対に避けねばならないので、戦略的撤退のラインは14時40分までに車に戻ってこられないところと決めていた。どこまで進めるかは自分の脚力との相談になる。近くの駐車場から速足で坂を登っていく。
このトレッキングコースは、海と断崖、奇岩と空の絶景が続く。左手には海に隔てられ利尻山が聳える。ものすごい強風。港が近いので、風の音に混じってフェリーの汽笛が聞こえる。

伝説では、この桃岩の頂上で抗争するアイヌの部族の長たちが不戦の誓いを立てたのだそうだ。利尻島や礼文島にもかつてアイヌが暮らしていたが、江戸時代に流入した和人が持ち込んだ病気などにより人口が激減してしまい、その文化は今ではほとんどわからないらしい。

この柔らかな曲線よ。いつまでも眺めていたい。

計画通りのタイムで目印の灯台にタッチして、すぐにきた道を戻る。急がねばならないのがもどかしい。礼文島だけで1泊してもいいくらいの素晴らしい自然。次は花の季節に来てみたいものだ。15時前に香深港に着き、乗船手続きをした。タイムアタック大成功。
汽笛が響いて利尻行きの船がちょうど入港する。

お昼も食べずに歩き回ったので、お腹が空いていた。甲板で、売店で買ったスナック菓子をぽりぽり食べながら出港作業を見る。そして出港。利尻島のお宿に戻ってお風呂をいただき、また近くまで夕陽を見に行った。昨日は雲が出ていたが、今日はよく晴れており、水平線に沈む太陽がはっきりと見える。しばらく黄昏れを愉しんだが、風が冷たくて戻る。夕食をいただいて、お猪口一杯分だけ男山を飲み、明日に備えて早く寝てしまう。