8時間か9時間寝たのかもしれない。窓から覗くと雪が降っているのだが、意外に寒くない。朝食、昨晩のボルシチとレーズン入りのパン。雪はやがて雨になり、足元はシャーベット状の雪になる。ジョギングどころか散歩にも行けないので、ややフラストレーションがある。
暖かい部屋で炬燵に入り、Sが淹れてくれたコーヒーを飲みながら読書をした。昨晩から読んでいた黒田龍之助「ロシア語だけの青春」を引き続き読む。著者が高校生から20代にかけて通ったロシア語学校「ミール・ロシア語研究所」の記録である。言語学習法「ミール方式」の厳しさと面白さと、著者の優しい語り口も相まってするすると読めてしまう。ロシア語に青春の全てを注いだと言っても過言でない、若さと熱意に気圧されるようでもある。自分がこのくらいの年齢の時にこれほどまでに打ち込んだものがあっただろうか、と寂しい気持ちにもさせられる。中学校から大学まで9年間も英語の勉強をしたのに、今ではからっきしである。受験対策の英語ばかり勉強してきて、努力をしたうちに入らなかったのだとこの本を読むと理解せざるを得ない。著者に比べれば些細な努力だが、少しでも毎日英語の勉強を頑張ろうという気持ちになるのだった。
昼過ぎ、東京に戻る新幹線に乗る。行きと同じく、帰りも驚くほど空いている。窓の外を流れていく雪景色を見ながら、駅弁を食べる。

新幹線の中でサミュエル・ベケット「マロウン死す」を読み終える。マロウンとはいったい? 唐突に「サポスカット」なる人物の物語が語られ始めるが、急に終わる。どうやら語ることに飽きたらしい。そもそも、語ること自体が、死ぬまでの時間潰しらしい。途中から「マックマン」なる人物が、何らかの介護施設か、ホスピスなのか、あるいは矯正施設のようなところで暮らしている様子になる。このマックマンはマロウンでないのかと思うが、どうもそうではない。そもそも最初の語り手はマロウンだったのだろうか。「マロウン死す」という題名なので、マロウンは死ぬのだろうという心づもりで読んでいたが、結局マロウンが死んだのかどうかわからない。この不安定で、分裂している語りは「モロイ」で体験済みなので、さほど驚くことはない。むしろ、このわけのわからなさ、分裂した語りに踏み込んでいく面白さがある。素面で酩酊できる。ぜひ手元に置いてもう一度読みたい。
夕方、東京に戻る。東京もなかなか寒い。自宅に着き、落ち着く間もなく、ジョギングへ出かける。体は温まるのに、明日からまた忙しい毎日が始まるのだと思うと気持ちは落ち込む。来週はまた一つ山場が控えており、体力的にも精神的にも困難な一週間になるだろう。逃げ場のなさが少し苦しくなる。逃げ場がないと思っているのは自分だけなのかもしれない。出口の扉はいつでも開いているのに、罠から出ていかないタヌキのように。最後の上りの坂道をダッシュして、ドラッグストアで入浴剤を買い、温かいお風呂にゆっくり浸かった。
夜、持ち帰った菊芋をきんぴらにし、明日の弁当用に鶏の照り焼きを作り、それから具沢山の味噌汁を作る。酒は飲まない。リチャード・フラナガン「第七問」を読み始める。