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ブローガスト18日目(2026/8/30)

八月の光
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公開:2026/8/30

 8月ももう終わってしまうので、書ききれなかったものを駆け足で紹介していきます。我が家の本棚です。奥行きがあるため2列に置いていますが、そろそろ余裕がありません。

チェーホフ、ツルゲーネフ、ゴーリキー、レールモントフなど……

 チェーホフは一時期よく読んでいた。「かもめ」(沼野充義訳)、「かわいい女・犬を連れた奥さん」(小笠原豊樹訳)、「ワーニャ伯父さん・三人姉妹」(浦雅春訳)など。すでに紹介した「シベリヤの旅」「サハリン島」はちくま文庫から出ている全集(松下裕訳)に含まれているが、全て揃えてマラソンする遊びをしてみたい。しかし、古本でもよい値段がする。ツルゲーネフは、「初恋」を神西清訳、米川正夫訳、沼野恭子訳の三つを持っている。長く神西清訳に親しんできたのだが、最近になって一人称が「ぼく」の沼野恭子訳を読み、新しい解釈を得たように思う。「猟人日記」(佐々木彰訳)もよい。ゴーリキー「二十六人の男と一人の女 ゴーリキー傑作選」(中村唯史訳)、レールモントフ「現代の英雄」(高橋知之)などもあります。

村上春樹がたくさんある

 村上春樹の小説はたくさんある。「ノルウェイの森」、「羊をめぐる冒険」、「ダンス・ダンス・ダンス」、「海辺のカフカ」、「1Q84」、「騎士団長殺し」、他には短篇集など。8日目にも書いたが、紀行文が味があってよい。私は自認ハルキストではないのだが、読書管理アプリの記録を見ると、記録しているだけで50冊以上読んでいるらしい。村上春樹の近影を見かけると、結構おじいちゃんになったなあと思うのだが、私が村上春樹を読み始めた中学生の時ですでにノーベル賞候補として名前が挙がる大御所だったので、さもありなん。

多和田葉子もたくさんある

 村上春樹に次いで読んでいることになっているのが、多和田葉子である。ファンを自認しているので、好きな作家は誰かと尋ねられたら「多和田葉子」と答えることにしている。本棚にも日本語で読めるものはだいたい揃っている。日本語で読めるものは読んだという作家は、おそらくこの多和田葉子とフラナリー・オコナーくらいだろう。「献灯使」のようなリーダビリティの高いものもよいが、「飛魂」や「変身のためのオピウム」が好きで繰り返し読んでいる。「エクソフォニー 母語の外に出る旅」、「言葉と歩く日記」などのエッセイなども面白い。ドイツ語でも創作活動しているので、ドイツ語で書かれ、邦訳された「パウル・ツェランと中国の天使」(関口裕昭訳)などもあり、確かにこれは多和田葉子だと読んでいて思うのだが、訳者が本人でないというのがなかなかこそばゆく、面白い。

苦しくて読み返すことができない

 石牟礼道子「苦海浄土 わが水俣病」と高橋和巳「邪宗門」を、その内容のあまりの壮絶さに読み返すことができないでいる。どちらもどこまでも人間というものに向き合ったものだ。あまりにまっすぐと、何の曇りもなく見つめるので、私は同じ目線で見ることが苦しい。「邪宗門」は、明治時代に生まれた新興宗教が勃興し滅亡するまでの物語で、明治から昭和までの時代を駆け抜けていくが、満州引き上げの描写などは目を覆いたくなるほどである。 

いつか読むはずのものたち

 島尾敏雄「死の棘」、檀一雄「火宅の人」は、入手したはいいものの、なんとなくタイミングがつかめずにずっと積まれたままになっている。どちらとも、体調がいい時でないと深手を負いそうだから。ベルナノス「田舎司祭の日記」は何度かアタックしているが、難しくて何度も途中で投げてしまっている。モーリアックと同時代のカトリック作家でありながら(遠藤周作にも影響を与えている)、信仰に関する考え方が相対するということらしくて気になったのだったが、買い求めたものが古い版で、旧漢字・旧仮名遣いのためその時点でハードルが上がってしまっている。モーリアックは、形骸化した信仰の姿を書く一方、ベルナノスは信仰に真に生きようとする人の姿を書こうとした(らしい)。

 ソローキンの「ドクトル・ガーリン」や「親衛隊の日」も積まれている。ソローキンを読むには体力と勇気が必要なのである。「山尾悠子作品集成」も、でんと本棚に居座って威圧を発している。

少ないけれどコミックも……

 あまり漫画やアニメを見ないようになってしまったのだけれど、21世紀の日本に生まれて漫画コンテンツに触れないというのは大きな損失で、時間と経済が許すなら積極体に摂取したいといつも思っているのけれど、私の体はひとつで1日は24時間なのだった。萩尾望都は「残酷な神が支配する」、「メッシュ」、「イグアナの娘」、「半神」など。なんたって絵が美しい。大塚英志と森美夏による「北神伝綺」は、柳田国男の「遠野物語」にある「山人」伝説に着想を得た作品で、帝の国から消された山人たちを追う異色のミステリーになっている。コナリミサト、久井諒子も好き。久井諒子は個人サイト時代から好きで追っているのだが、大ヒットした「ダンジョン飯」の前の「ひきだしにテラリウム」「龍の学校は山の上」などの作品集が彼女のウィットが随所に感じられて好き。

地獄を覗いてみたいという好奇心

 花沢健吾の「アイアムアヒーロー」は、電子書籍だけれどまあ本棚にあるということにしておこう。ルサンチマンとその拗らせを書くのが本当にうまい。そして絶妙に不快感を催させる(褒めている)。その花沢健吾の世界観の不快の部分を集めて煮詰めて煮凝りにしたようなものが、大山海の「令和元年のえずくろしい」で、最初は何でこんな本をわざわざ買って不愉快な気持ちになっているのだろうと思ったが、人間はなぜか地獄を覗いてみたくなる不可解な生き物なのだということを思い起こさせるに十分。大山海の最新作「奈良へ」だが、町田康が傑作だと言っているので気になっているのだが、勇気が出ない。

元気になりたいときは

 おおのこうすけ「極主夫道」で笑う。難しいことは何も考えず笑う。妙に身体に馴染んだ笑いなのだった。なぜかって笑いの構造が完全に吉本新喜劇なのである。そして、私は吉本新喜劇育ちの大阪の者なのだった。小学生の時はまだ土曜日の半ドンというのがあって、土曜日に登校して帰り、お昼ご飯を食べながら見るのが吉本新喜劇だった。「極主夫道」はTwitterで流れてきたのだけれど、しょっぱなから「これ吉本新喜劇やん……」と思ってそれ以来ファンなのだった。

以上で終わります!

 紹介できたものは本棚のほんの一部なので心残りですが、時間の都合上、この記事でブローガスト企画は最後になろうかと思います。拙文にお付き合いいただきありがとうございました! 

@augsutus
主に日記を書いています。