2026/10/1(木)とても久しぶりに良く晴れている日。10月に入り、仕事としても少し段階がかわった。ギアチェンジして繁忙期へ向かっていく時期である。書類仕事もあれば力仕事もあり少し慌ただしいが、退屈しているよりはよっぽどましだ。それでも、残業はせずに帰る。半期に一度の上司との面談でも、業務効率化と超過勤務縮減の取り組みについて数字も準備して猛烈アピールしておいた。残業代がかなり減った分、冬の賞与で報われたいという下種な考えである。
書店で清野とおる「壇蜜」の2巻と3巻をまとめ買いして帰る。1巻を読んで面白かったので、続きも買おうと思ってずっと忘れてしまっていた。2巻だけ読む。壇蜜は間違いなく面白い女なのだが、その壇蜜を包容しうる清野とおるという人。あるいは壇蜜が惚れた男。「壇蜜」によると、初対面で壇蜜から結婚を申し込んだらしいし。清野とおるのことは壇蜜の結婚相手として知ったが、この人自身もとんでもなく面白い人なのではないか。
2026/10/2(金)出勤して気づいたことに、スカートの裾に植物の種をいくつもつけていた。日課の一駅分ウォーキングの間で草むらを歩いたからだろう。同じ部署の別の係のイベントのお手伝いのため、残業。日が暮れるのが随分早くなった。19時にもなるともう真っ暗だ。ああ遅くなってしまったなあ、と駅に向かったところ人身事故で運転見合わせしており、電車が動いている駅まで歩いて行った。公園の傍の道を歩いていくと、草むらから秋の虫の声が響く。結局家に帰りついたのは21時を過ぎた。家事は最小限にして、早めにベッドに入る。
立花隆「エーゲ 永遠回帰の海」を読んだ。ジャーナリストである著者が、ギリシャの各地を訪ねて回った記録。取材というよりは紀行文の趣きが強い。聖山アトスの訪問記もあって、村上春樹の「雨天炎天」と比較して読んでみるとなかなか面白い。全体的に厳かな感じの語りなのだが、急に面白かったところを抜粋しておく。
エジプトのスフィンクスは、人の頭を持つライオンで、雄である。しかし、ギリシアのスフィンクスは雌であり、美少女の頭を持つ翼あるライオンである。頭だけでなく、乳房もまた美少女のそれである。リキアのサルコファガスのスフィンクスは、ギリシアのスフィンクス像の中でも、最も美しいスフィンクスといわれている。
カメラの須田慎太郎は、ファインダーをのぞいて、「チキショー、このオッパイいいなア。このオッパイいいなあ」とつぶやきながら、何度も何度もシャッターを押している。実際それは、石と知りつつも手をのばしてさわってみたい気持にさせるほどエロチックだった。
(立花隆「エーゲ 永遠回帰の海」、ちくま文庫、193頁)
須田慎太郎というのは、立花に同行したカメラマンだ。この次のページにそのスフィンクスの像の写真が載っているのだが、確かにめちゃくちゃいいオッパイなのだった。十分に成熟した丸みがあるが、しかし肌はぴんと張っていて、乳首は上向き。重力に逆らって乳房は垂れていない……石でできているのに、異常に柔らかそうに見えるのである(この彫像を作った人の、オッパイへのひたむきさを感じる……)。そういえば、村上春樹の旅行記にも、松村映三というカメラマンが同行者としてよく登場するのだが、彼もなかなか面白い人(メキシコだかでペルーだかで、石をしたたかに投げつけられながら地元住民の撮影を続行しようとしたエピソードをよく覚えている)で、面白い旅行記は面白いカメラマンありなのかもしれない。
2026/10/3(土)日の出もだんだんと遅くなっている。5時に起きたら、まだ外は暗かった。別係のイベント手伝いのため、早朝から出勤。職場近くのなか卯で親子丼を食べて朝食にした。朝早くから夕方まで、ばたばたとイベントのお手伝い。1日、あるセクションの長をする。今の職場は20代の若者たちが多く、自分はすっかり中堅になり、あれしてこれして、あれはするなこれはするなと若手らに指図する立場になってしまった。自分が20代の若手だったとき、30代半ばから40代の中堅の人たちをどういう風に見ていただろうか、と少し思い返してみる。片付けまで終えて解散するともう17時。急行に乗りたいのに、ぼおっとしていて各停に乗ってしまった。旅行から帰ってすぐに休みなく6連勤、流石にヒットポイントゲージが残り少なくなってきたか。
車谷長吉「四国八十八ヵ所感情巡礼」を読み始める。夫婦で巡る四国巡礼について日記形式で書かれているのが、どこまでがリアルでどこまでがフィクションなのかよくわからないが、あまりにも振る舞いが外道でむちゃくちゃなのでいっそフィクションであってほしい。旅先で会う人をいちいち品評して、地獄に落ちるだの、あの人が天国へ行くだろうだの言うのだが、その本人は道端だろうが畑だろうが堂々と排便をして恥じる様子もない(むしろどこか誇らしげ)。これは巡礼日記ではなく排便日記かと思うほど、排便記録が多い。持病の強迫性障害の薬の影響だそうだが、便所までもたずに漏らすのと、場所を選ばずに排便をして回るのと、どちらが人間的にましなのかと思う。これだけむちゃくちゃなのに、読み物として破格に面白いというのが悔しい。
2026/10/4(日)よく眠った。久しぶりにジムへ行って、筋トレとトレッドミルで運動をしてから、街へ出かける。晴天。秋らしく心地の良い気候。飯田橋から歩いて、神保町の石井スポーツ登山本店へ行き、ハードシェルを買う。ソフトシェルのような柔らかな生地なのに、防風・保湿性が高くお値段もそれなりにごついが、今の季節にちょうどいいハードシェルを持っていなかったので、いい買い物。それからミドルレイヤーの薄手のフリースも買った。
神保町から、秋葉原を抜けて蔵前まで歩く。移動中はショスタコーヴィッチのバレエ音楽を聴く。蔵前の気に入っている店でスリランカカレーを食べ、上野まで歩いて電車に乗って帰る。家に帰って、図書館、スーパーと用事をすませ夕方から台所仕事。ブリのあらが安かったので、ブリ大根を仕込む。鶏のつみれ入りの味噌汁、蛇腹きゅうりの酢の物、菊の花の甘酢漬けなど。新しいメニューとして、ヤンニョムチキンを作ってみる。
車谷長吉「四国八十八ヶ所感情巡礼」を読み終える。相変わらず遍路道で野糞をしている男なのに、いい文章を書く。
お寺に着くと、例によってバス、ハイヤー、タクシー、自家用車で乗り着けて来たお遍路さんたちが、群れをなして般若心経を上げていた。楽をして極楽へ行きたい、という虫のいい考えの人たちの浅墓な声である。つくづく厭になる。私は物書きだから、恐らく地獄へ行くだろうが、この楽をして極楽へ行きたい人たちも、恐らく地獄へ行くだろう。今日、改めてそう確信した。憎悪。
(中略)人間ほど不幸な生物はない。生きている間にあらかじめ、将来自分が死ぬことを知っているのだ。他の生物は将来自分が死ぬことを知らない。だから鶯はあれほど美しい声で鳴けるのだ。私は作家などになってしまったが、もう二度と人間には生れて来たくはない。今日は終日、それを思うていた。
(車谷長吉「四国八十八ヶ所感情巡礼」文藝春秋、111頁)
日記の中に、小川国夫の死去の報に接した日が出てくる。丁度、小川国夫作品集を読みたくて、図書館から受け取ってきたところだった。次はこれを読むことにしようと思う。