6時に起きる。昨晩は早めに横になったのになかなか寝付けず、睡眠時間は6時間弱くらいか。身体は疲れているのに眠れないというのは、ちょっと良くない。雑穀入りご飯に即席味噌汁、昨晩買って帰って食べなかったささみフライ、副菜の残りなどを食べて朝食。
外は冷たい雨だ。今日も仕事へいく。職場施設内を歩いていたところ、窓の桟でハト2羽が連れ立って雨宿りしていた。他のことを考えながら印刷機を触っていたら、ソートにするべきところスタックで大量印刷をかけるなど、こういう凡ミスに地味に体力を削られるのだった。やっておきたかった作業はひととおり終える。昼、職場冷蔵庫に常備するようになったカット野菜にトマトを盛り、食べる。17時に職場を出たところ、もう暗い。
電車の中で「カラマーゾフの兄弟」を読みつつ、小津夜景のエッセイ「カモメの日の読書」からコラムを少しずつ読んでいる。「カラマーゾフの兄弟」序盤、ゾシマ長老が農婦たちに面会するシーンは何度読んでもよい。幼い子をなくした母親とのやり取りは、いつも胸が詰まるような思いがする。
夕飯にチキンビリヤニを作る。過去の日記に書いたレシピのメモを掘り出す。日記はこういう時に役に立つ。今日は幸いにも、帰りに寄ったスーパーでパクチーを入手したのだった。パクチー調理時の専用ソングこと宇多田ヒカル「パクチーの唄」を流しながら、ビリヤニを作る。料理と並行で洗濯、掃除、整理整頓をする。このところ家には寝に帰るだけだったので、手入れが行き届いているとは言えない。ビリヤニは味が安定し始めた。

ゆっくりと浴槽に浸かりながら、シティボーイズの古いコントの動画を見ていた。中学生でラーメンズにはまり、高校生でシティボーイズを知り、以来見られるコントは見てきて、私の今の一部を形作ったと思う。コント「クレーマーに謝罪」は、仕事に少し疲れたときの心の処方箋になる。クレーマーと、謝罪に訪れた担当者との間に繰広げられるシニカルな笑いの世界。大竹まこと扮する血気盛んな部下社員が、きたろう扮するベテラン社員に食って掛かるそのやり取りでいつも笑わせてもらい、元気をもらうのだった。そして、クレーマー役中村有志の怪演。
大竹まこと「私ね! 謝りませんよ! 謝れってんなら謝りますけどね、悪くないのに謝ってもしょうがないでしょ! それでもいいんなら謝りますけど、どうします!?」
きたろう「君はねっ、この状況がわからんのか!」
大竹まこと「わかりますよ、わかりますけどね、心から謝らないのに謝ったってしょうがないでしょ!」
きたろう「君は学生か!? 心から謝る大人なんていないよ!」
ほかに「灰色の男」や「原発コント」などの名作を見返して、改めてシティボーイズのコントは予言的だと思う。原発コントは今ではとても笑えなくなってしまったが、これは2006年のコントなのだった。シティボーイズのいいところは、決して説教臭くなく、特定の政治思想も感じさせず、笑いとは社会風刺の手段なのだということを思い出させてくれるところだ。