よく寝た。底冷えする朝。古代米入りの炊き立てご飯に、昨日スーパーで買った鯖メンチカツなるもの、三つ葉の味噌汁にて朝食。その地方にしかないスーパーにいくと、なかなか面白いものが売っている。
小津夜景「カモメの日の読書」を合間合間に読む。副題が「漢詩と暮らす」だが、読めば読むほど何について書かれた本なのか、紹介がしにくい。4ページ程度のエッセイのひとつひとつが漢詩をその発端として世界を広げていくが、単なる漢詩の紹介文というのでもない。漢詩をきっかけに、小津夜景という人の想像力が縦横無尽に駆け巡る様子を、文学の宇宙から宇宙へ飛び移る様に随伴させてもらっている、という感じだ。それにしても、俳句やあるいは小説、哲学書などからの引用の幅に、小津夜景という人の読書量が尋常でないことを感じさせられる。優れたアウトプットの従前に大量かつ良質なインプットがあって然るべきだが、その通りの人だと思わされる。シュワルツネッガーのくだりで、日本語の広さ、自由さを感じる。
こう書いてみて大畑等に〈なんと気持ちのいい朝だろうああのるどしゅわるつねっがあ〉という俳句があることを思い出した。この句については、シュワルツェネッガー本人のボディにまったく引けをとらないくらいビルディング性の高い Arnold Schwarzenegger という綴りをひらがな表記すると思いがけずも感嘆詞になってしまうことの発見、あるいは歴史上はじめて筋肉性を帯びた感嘆詞の誕生、などと歌人の柳本々々が説明しているが、怖いくらいの慧眼である。俳句において感嘆詞とは切れ字のことでもあるから、大畑の旬が伝統的手法の上で書かれていることも、柳本の説明はするどく射抜いているのだ。
夏頃から道の駅スタンプラリーをやってきたのだが、最後のひとつを埋めに十和田湖方面へドライブへ。最後のひとつは、県境を少し超えて秋田まで行かねばならない。雪道運転の経験がほとんどなく心配していたが、積雪はなし。遠い山並みは白くなっている。紅葉は終わり気味で、山は雪の気配。音楽は「Japanese Breakfast」。寂しげな旋律が、景色に馴染む。
十和田湖畔の道の駅の入り口には、自動ドアが手動になっている旨の張り紙がある。せっかく秋田まできたので、秋田の日本酒「北秋田」を買った。湖は冬を映す鏡となる。


奥入瀬渓流の近くに気になっていたアップルパイがある。念願かなって行くが、しかし目移りして私はりんごのタルトタタンを。Sがアップルパイを注文。ほうじ茶をお供に分け合って食べる。



近くの銭湯に行って、湯上がりにコーヒー牛乳を。16時半には日没で、17時などはすっぽりと闇の中になる。見上げると星。しかしそれなりに町なので、満天というほどではない。東京よりは星が近い。夕食に値引きのホッケを焼き、買ってきた日本酒を飲む。白菜と高野豆腐の卵とじなども作る。美味しいお酒を飲んで、Sとだらだらテレビを見て、うとうとしたら多分寝るのだろう。こういう日が、忘れがたい日になるのだろう。