2025/12/23
12月らしい寒さで、身体にこたえる。朝、レトルトのクリームチャウダーにセサミブレッドなど。連勤の疲れと睡眠不足がボディーブローのように効いてくる。人から「疲れた顔をしている」と言われ、修業不足。疲れていることを人に悟られるのは恥ずべきことである、という考えが旧習のように染みついていて、どうしても自分に強いてしまう(旧習にとらわれるな!)。
どんなに忙しくても、疲れていても、一定のテンションを保っていることが理想だが、現実にはなかなか難しい。ふとしたときに出す声が不機嫌そうに聞こえてしまったり、表情がこわばったり、あるいは相手の言うことを最後まで我慢して聞けず、被せて話し出してしまったりと、自分の未熟さがよく見える。
トラブルがあり、業務予定が早まってしまい、年始にすればよかったものを年内にこなさなければならない様相。仕事納めが出来るか見えなくなってしまった。22時半に退勤。とても寒い。駅まで走る。
フォークナー「むかしの人々」を読み終える。繰り返し読みたいと思い、手元に置こうと思って調べたら、岩波文庫「熊」は既に絶版だったのだった。ネットではプレミアがついて出ていて、少し迷い新品を買った。フォークナーはこれからはあまり読まれなくなっていくのだろうか。小説を読む人自体が少なくなっていると言われているので、致し方ないのかもしれないが。
2025/12/24
雨の朝。関係先へ書類を届ける所用があり、自宅から直接向かう。到着時間から逆算し、いつもより少し遅く起きる。とはいっても、そのことを見越して昨日はより残業したため、睡眠時間としては同じ。関係先にはかつて一緒に働いた人がおり、久しぶりの再会と近況報告をする。ハードな時期を一緒に乗り越えた仲間だと私は思っているので、会えてよかった。濡れながら外を歩いた甲斐がある。途中、百貨店でケーキ(自分と同僚分)を買って出勤。
午前中時間をロスした分、しゃきしゃきと働く。仕事上、たくさんの個人情報を見ることになる。その中には、その人の人生の核心部分、あるいは人に知られたくないであろう部分も含まれてき、誰しもがその人にとっての地獄を生きているのだと思うのだった。私にも地獄はあるし、あなたにもある。それは決して比較できるものではないはずだが、どういうわけか自分は誰よりも不幸だと思って慰めてかかる心の働きもある。
思い返してみると、人事畑ということもあってこの手の仕事に多く携わってきた。今までの経験を総動員してようやく今の部署で係長をやれているという感謝もあるし、一方で、この仕事のために自分がどんどん事務的な人間、心の冷たい人間になっているのではないかという思いもある。日々多くの人のことを、データの上で、本人と会うことなく知る。人がただの情報、数字のように見えてしまう。人の感情もただの脳の電気信号でしかないのではないか、と思うこともある。人の感情を受け止めない、ということもこの仕事をしている中で身につけたのだった(そうしなければ、自分の心を守れなかった)。そのことで自分が心の冷たい人間だと感じるし、この仕事を長く続けていると、等身大の人そのものを見ずに、人を知ったような気になってしまう。
不二家のケーキを同僚と食べた。22時に退勤。帰りの電車の中で中断していたリチャード・フラナガン「第七問」を再度読み始めるが、あまり入りきれない。
