先週から朝の即席味噌汁を研究している。朝はどうしても時間がなくて悠長に料理している暇はない、でもそれなりの朝食はとりたい、という相反する気持ちの解決策を見出すための試み。前日の夜に具材を加熱しておき、顆粒出汁と味噌ひとすくいとともにお椀にセットし、翌朝お湯を注ぐというスタイルに行きつく。今朝は、新玉ねぎとえのき(ざく切りにして冷凍してある)、刻み上げ(これも冷凍してある)、乾燥わかめという組み合わせ。明日用に、ブナピーと小松菜を加熱してセットしておいた。味噌を朝にとると、その日の夜の睡眠の質が上がるそう。メラトニンなる物質が関係しているらしい。
通勤電車で、藤枝静男の連作短編集「欣求浄土」を読む。藤枝静男の小説は「空気頭・田紳有楽」以来。藤枝静男は私小説家として有名だが、「欣求浄土」は随筆のような趣きがある。幼少期の父との思い出から、訪れた自然の風景、そこで見たもの、出会ったもの、友人との出来事など、筋があるようでない。あったとしても、盛り上がりがあるかと言われたら、ない。それでも読ませる、不思議な魅力のある文章を書く、小説家としての技量のすごさを感じる。藤枝静男という人の書く文章は、硬質で静かで、読んでいてとても馴染む。藤枝静男の弟子に笙野頼子という小説家がいて、この人の小説も私は好きだが、師匠との確かな繋がりを感じる。
「欣求浄土」という言葉の意味は、喜んで浄土を求めるという仏教用語だということだが、この世に充満する苦しみと、それに耐えながら生きるむごさ、そういう感情を言い表しているのだろうかと思う。中上健次の短編小説にも「欣求」というのがある。読みたいと思って、読めていない。
この世を生きる苦しみといえば、ジョバンニ・ヴェルガ「カヴァレリーア・ルスティカーナ」は、持たざる者、機会に恵まれなかった者の報われぬ人生をありのままに書き出す、そんな文学運動のもとで書かれているので、とにかく救いがない話ばかりである。昨日から読んでいた「羊飼いイエーリ」は酷い結末だった。でも「人生は前向きに頑張っていればいつか報われる」なんて甘えた言説は欲しくないし、これくらい徹底的に人間の生の真実を暴き立ててくれる方がむしろ良心があるというものだ。
残業終わりの帰り道、満月がとてもきれいだった。