2026/4/6 仕事、沢山の人と色々な話をした日。膝を突き合わせて込み入った話をして疲れたが、おかげでいくつかの懸案事項が急に解決の方向に進み、肩の荷が下りる。昼休みに歩いていたら、以前の同僚とばったりと合う。4月からここに出向してきたらしい。思いがけずの再会に驚いて、そのまま食堂でお昼を一緒に食べた。ヘレカツ定食。業務調整相手の後任者もまた元同僚だった。世間は広いように見えて実に狭い。
昨日もよく睡眠をとったはずだが、連日とても疲れやすい。はたと寒暖差による自律神経の乱れが原因ではないかと思い当たり、汗をかく必要があると思い、帰宅後少し走る。自宅近くの桜も満開で、思いがけず夜の花見となる。寝る前に、映像の世紀「昭和天皇」後編を見る。生まれた瞬間から生き方が決められているというのは、一体どんな気持ちなのだろうか。パヴェーゼ「流刑」を読み始める。GWの新幹線を予約しようとしたところ、往復割引が廃止されたことを知りショックを受ける。何でも値上げの世知辛さ。
2026/4/7 急に気候が少し冬に戻って寒い。午前は、職場の式典に係員として参加。午後はメールがようやく復旧したので、不通だった約2週間分のメールを整理し、返信したりなど。共有サーバにはまだアクセスできずデータの印刷もできない。全社的に同様の状態で、こういうところに組織としての脆弱性が出るなと思う。
部署の歓迎会の幹事をやることになり、合間合間で店探し。宴会も幹事も割合好きだ。20代から50代、若手から部署の長までいる中で、あまり会費が高すぎてもいけないし、だからと言って料理がちゃちくてもいけない。小洒落た店もあるにはあるがそういう店は食事量が少ないので若者は不満だろう、などと色々と思い、いい塩梅に落としたいという欲が出てなかなか店が決められない。
パヴェーゼ「流刑」を一応通読した。ジムで筋トレをして帰る。野菜の端切れを集めて味噌汁を作る。キャベツ、豆苗、エノキなど。
2026/4/8 駅にて、ツバメが鳴いているのを見かけた。本格的な春を告げる声だ。気候としては寒いけれど、晴れである。スプリングコートでは少し肌寒い。印刷機がようやく使えるようになって、事務の現代的変化をなぞっているようだ。電話とFAXと紙による事務から、一段進化した。頭の中に4足歩行の猿が徐々に起き上がってくるあの図が浮かぶ。
隣席の新しい課長補佐が受け入れがたく感じている。具体的には、衛生面での価値観が受け入れがたい(洗濯をしていないと思われる衣服が非常に臭う、自席で電気シェーバーを使う、放屁する、など)。強烈な臭いに吐き気を感じる。客観性あるいは羞恥心がない人なのだろうかと思う仕草が多いのだった。一番の問題は、そういう衛生面の価値観不一致のせいでその人そのもの受け入れられなくなることなのだけれど、どんどんと煉瓦を積み上げ壁を築いている状況だが、どうしても自分が歩み寄ることだとは思えないでいる。
新卒部下のMちゃんはとても明るく、積極的で、良く気がつく子である。私は何より話し相手が出来たことが嬉しい(話し相手になってくれているとも言う)。彼女のためにも、上司の不衛生状況は改善したい。帰り、餃子の満州で唐揚げと玄米の炒飯を食べた。このところ、あまり食バランスのことを考えていないが、不思議と罪悪感を覚えないでいる。
2026/4/9 通勤電車にてパヴェーゼ「流刑」をもう一度読み始める。今度は言葉がしっくりと掴めるように感じる。北イタリア出身の男(パヴェーゼ自身を投影している)が、南イタリアの海辺の村に流刑されている。彼の深い孤独が、絵画的な表現と印象的な海の表現によって描かれる。チェーザレ・パヴェーゼという人は、キャリアの絶頂期に自殺をした人で、その未来を予感させるかのように全体の雰囲気に重苦しさがある。同じ南イタリアへの「流刑もの」としては、カルロ・レーヴィ「キリストはエボリで止まった」があるが、こちらがどことなく楽観的な明るさがあるのと対照的である。どちらも好きだ。
上司の不衛生さについて、上司が元いた部署の人に聞くと、やはり扱いに非常に困っていたといい、「自分もあの人を変えようと悩んで努力しましたが、できなかった。いくら他人が言っても、変わらない。無の心で耐えるしかない」と言われ、私は途方に暮れる。1年間これから一緒に働く以上、人間関係を損ねることは本意ではない。対話の努力をしないまま非常の手段(通報といったこと)に訴えることも組織人として本意ではない。通報窓口の元担当者だった経験からしても、この種の通報は対応のしようがない(できるとしても強制力のない働きかけだけ)というのもよくわかっている。通報を受理する前に「まず本人に話してみましたか? 本人に直接言えないのなら、上司に相談しましたか?」と決まり文句のように言ったものだ(そうすることで改善するケースも当然あるからだが)。その言葉が今自分に跳ね返っている。職場のレイアウトの変更などの環境整備で解決できるのならそうしたいが、なかなか難しく、頭を抱える。
窓口の担当者だったときは、年間何百件も通報や相談を受ける中で、一つ一つが単なるデータ上の存在に見えるようになっていた。血の通った人間の言葉としていつの間にか感じられなくなっていた。そうしなければ自分の心を守れなかったからでもあるが。こうして、自分が職場の悩みの当事者になってみて、あの時の自分の対応は真に寄り添ったものだったろうか、と振り返らざるを得ない。
帰りに、刷毛じょうゆの海苔弁山登りが割引になっているのを見かけ、夕飯にする。初めての「山」。これで、「海」、「山」、「畑」をすべて試したことになる。どれも美味しいが、やはり「海」がいちばん好きかも。