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日記(2026/9/28-9/30)

八月の光
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公開:2026/9/30

2026/9/28(月)昨晩は旅行の片づけをして、洗濯をして寝る。生活は待ってはくれない。早く帰宅できれば平日用の食事のストックを作りたかったけれどできなかったので、炊飯だけセットして朝食はサバ味噌缶詰。東京は再び雨。雨の連続観測記録が過去最長になったらしい。

 長い休みのあとはいつも思うことだが(日記にも毎度同じことが書いてあったのだが)、休みの間は仕事のことをすっかり忘却しているのに、自分のデスクに座ってPCを立ち上げると、頭の中の引き出しが自然に開いて仕事に戻ることができる。不思議なものだといつも思う。溜まっていたメールをさばき、調整電話をかけ、片っ端から仕事を片付ける。

 来年度の異動に関する人事面談。出向してきている身であるので、元組織に戻りたいという希望(と現組織に対する不満)を率直に伝えるが、場合によってはもう1年お願いすることもある、と言われ落胆。もう1年となったらどうモチベーションを維持したらいいのかわからない。組織上の事情については説明を受けたけれど、(それはこの組織の事情で、他組織からきた私が割を食うのは筋が違うんじゃないでしょうか)という気持ちで、感情的には呑み込みがたい。

 雨の中家に帰り、受取期限が迫っている本のために図書館に行くが、休館日だった。スーパーで買い物をし、冷凍していた豚軟骨のスライスで野菜炒めを作り、食べた。常備菜として鶏肉入りの味噌汁、豆腐とひじきの煮物を作る。五来重「日本の庶民仏教」を読み終えて、「フエンテス短編集」を読み始める。

2026/9/29(火)朝からしとしと雨。嫌な夢を見て寝覚めが悪い。浮島のようなところにいた。私は車の運転席にいて、周囲には無人の車が止まっている。浮島は少しでもバランスが傾けば、沈んでしまいそうなほどの絶妙なバランスで浮いている。自分の乗っていた車が急に後進しはじめ、サイドブレーキをかけ忘れたかとあわてて操作するのだが、そのまま車と一緒に池に墜落してしまった。水没する車の中で、フロントガラスを打ち破ろうとヘッドレストを外して振りかざしたところで目が覚めた。かなり嫌な夢だった。湿度が高くて寝苦しかったのだろう。最近は豪雨での車の水没事故も多いので、そういう嫌な気配が夢に侵入したのかもしれない。

 だんだんと繁忙期らしさが見えてくるが、まだ残業はせずにさばけている。いつまで定時退社の連続日数を更新し続けられるだろうか。夏の閑散期に作った貯金がいつまでも持つかしだい。帰り、雨の中スーパーによって帰る。雨の日は空いているし心なしか野菜が安く出ている気がする。梨を買いたかったが高かったので、代わりに種なしの柿を買った。ゴールデンキウイも出ていたが、実が小さい。スーパーの品揃えもほとんど秋らしくなっており、夏が去ったことが名残惜しい。カゴはそれなりに重かったのに2000円いかず、いい買い物をした。夕食にカマス(値引き)を焼く。常備菜として大根とゲソ(値引き)の煮物を作る。イカから染み出すあの桜色のよさは何だろう。さつまいもとカボチャは蒸篭で蒸した。食用菊が出ていた。軽く湯掻くために花のがくを取り外すのだが、指先に背徳感がある。甘酢につけておくと、色鮮やかで愉しい。

 引き続き「フエンテス短編集」を読む。以前読んだことがあるのか、覚えのあるような気がする。銃殺刑に処される兵士たちの運命を描く「生命線」が気に入る。南米文学と言えば魔術的な表現が好きでよく読んだが、こういう乾いた、血の臭いのする側面も最近はいいなと思うようになってきた。フエンテスはあまり読んでこなかったが、他も読んでみたい。

2026/9/30(水)また雨。東京の長雨記録を更新して35日目。昨晩焼いておいたカマスの残り、鶏の味噌汁、菊の花の甘酢和えなどで朝食。菊の花びらのしゃきしゃきとした触感がよい。さすがに肌寒くて、ついに秋冬用のジャケットを出した。夏が完全に去って寂しさもあるけれど、ニットとマフラーの季節が近づくのが嬉しい。スープとグラタン、煮込み料理、炊き込みご飯の季節でもある。

 里見真三「いい街すし紀行」を読みおえる。文藝春秋に連載されていたコラムをまとめたもので、基本上から目線なことさえ気にならなければ訪ねた土地や店の様子、職人の観察などなかなか面白く読める。今のテレビの食レポとは比較にならない語彙の豊富さを楽しむ本だ。最近訪ねたばかりの稚内や、季節を置かず訪ねる八戸の店なども紹介されており、自分の旅行経験と重ねても面白く読んだ。寿司のカラー写真がとにかく美味しそうで、つい寿司が食べたくなる。そういえば、先日の北海道では寿司は食べなかった。それにしても、このコラムが書かれた当時でさえ一万円越えのおまかせなど、今ならいくらになるのか。

 このところガイブン(外国文学と言わず、あえて「ガイブン」と書く)を連続で読み、頭の中が小賢しくなったような気がしているので、少し方向を変えたい気持ち。読書の「鉱脈」と表現する文章を偶然目にして、よい表現だなと思う。さしずめ、本棚は掘り起こした鉱石のショーケースというところ。鉱脈は読んだ本の中から自らその手がかりを探し、上に下にと掘り進めるのが楽しい営みだと私は思うのだが、今日日はAIとSNSの力を借りてしまうことには少し心苦しさもある。ともあれ、料理エッセイや紀行文の方面で名文を掘り起こしたく、リストをいくらか作ったので、読青の秋の課題図書にしよう。

 「いい街すし紀行」を読み終えて、水上勉「土を喰う日々」を読み始める。料理の丁寧な描写は素晴らしいのだが、著者の自意識の高さ・自己顕示が見える瞬間があり、描かれているのは精進料理の世界なのに差し出されたものを食うとなんだか胸焼けがする。小説の中の人間の自意識は受け止められるのに、どうして現実の人間の自己顕示にはこうも辟易してしまうのだろう。

 文章を書く行為がそもそも自己顕示や承認欲からきている以上、私自身も見につまされる。理想として、嫌味のない、衒いのない文章を書きたいというのがあり、日記を書くときにも心に留めているが、つい自意識と自己顕示が筆を滑らせることが多い。自分のものなのに、思い通りのならない心というもの。そう思うと、武田百合子の衒いのなさ、あるいは西村賢太の隠し立てのなさよ。

@augsutus
主に日記を書いています。