日記(2025/6/14)

八月の光
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公開:2025/6/14

 近くに公園があるからか、朝方になると鳥のさえずりが激しく聞こえる。鳥のさえずりを楽しむという感性は、最近まで持ち合わせていなかったのだが、人間の会話の代わりに鳥の会話に入りたい、そちらの世界に加えてもらいたいという気持ちが芽生えてきた。家事をしながら、本を読みながら、走る時も、音楽を聴くという習慣が長年あったのだが、鳥のさえずりで十分、いやむしろそちらを聞いていたい。

 朝、昨晩のカツオの残りを醤油に漬けておいたものを、出汁茶漬けにした。出汁は、永谷園の松茸お吸い物で横着をした。それから、区民プールへ泳ぎに行く。季節的にだんだん混雑してきて、ひたすら泳ぐ人用レーンも冬の倍くらい混んでおり、前も後ろも詰まってしまってストレスを感じる。ストレス発散のために泳ぎに来ているのに溜めてどうすると思い、比較的空いているウォーキングレーンへ移動して、本気のひねりウォーキングをした。運動量としては少し物足りなく、家に帰ってリングフィットで筋トレをした。

 新しいノートPCが届いたので、セットアップをする。インストールだの設定だのを待っている間、「大江健三郎自薦短篇」から「無垢の歌、経験の歌」を読んだ。短編集「新しい人よ眼覚めよ」に収録されている。これは大江が中年に差し掛かり、また障害のある長男が家庭内暴力をふるいはじめて家族が危機に瀕していた時期に、自分が死んだ後の世界で息子がどのように生きていくのか、という深刻な思いから書かれたものらしい。長男(イーヨー)が暴力を振るう理由は、高校生になって肉体的には大人の男性に近づいている彼が、情動を上手く発散できないがゆえに起こったものだろうか、と推測する。それすら小説にしてしまうのは、小説家としての容赦のなさを感じる。ここでもやはり、マルカム・ラウリーが関わってくるのだが、「ここでラウリーを読むことはしめくくりにする」と語られている。その理由は、《中年すぎになれば、やはり老年から死にいたるまでに集中して読むという作家の数が見えてくる。そこで時どき意図的に、このようなしめくくりをおこなわなければならないのでもある。》とあり、しめくくろうと思えるほど読んだということそのものが、稀有な体験ではないかと思った。

 夜、元同僚のSさんと南インド料理を食べに行く。九段下にある南インド料理の名店だそう。ジャガイモのドーサと、マトンカレーを食べ、タマリンドのカクテルを飲む。カクテルは、発酵の香りがし、ロシアのクワスに似ていた。

 Sさんは2年前に業界内転職をされ、在職中はほとんど個人的な話はしなかったのに、転職されてからむしろ仲良くなった。旅行記について話す。最近はグローバル化の影響で、世界中どこの都市も似てきたから、旅行記は50年代、60年代くらいが面白いという話をした。沢木耕太郎の「深夜特急」がとても面白いとおすすめいただく。ただし、ヨーロッパに入ってからはあまり面白くないらしい。ヨーロッパに入ってしまうと、パーソナルスペースの考え方が人との交流を阻害してしまい、旅行記としての面白さの点では劣ってしまうのではないか、という話をした。私は妹尾河童「河童が覗いたインド」と川口慧海「チベット旅行記」をおすすめした。それから、仕事の愚痴から悪口から色々と話す。Sさんは、黒い本音や偏見を話しても大丈夫な人なのかもしれないという印象を今まで持っていたけれど、本音と建前をちゃんと理解して話を聞いてくれる、心は綺麗には割り切れない知っている、バランス感覚のある人だと確信した。

 次はロシア料理を食べに行こうと約束して、別れる。

@augsutus
主に日記を書いています。