2025.11.28. 生誕、普遍的な時間、クッツェー『マイケル・K』

autoishk
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公開:2025/11/29

 子が誕生して、一変した生活を送っている。妻とともに育休を取り、労働から解放されるとともに、赤子の世話のためにほとんど外出を控える生活である。現代社会における生活の大半を占めている労働と、それに付随する人間関係やコミュニケーションのほとんどが消し飛び、友人との交遊や外食、映画等の余暇活動もまた後景に退く。テレビやSNSから入ってくる若干の情報を除き、外的世界との接触は極めて乏しくなり、生活は圧倒的に〈家〉という空間へと閉じられていく。

 そこではすべての中心に赤子の刻むリズムがある。三時間起きの授乳。頻回のおむつ換え。毎日の沐浴。その繰り返しからなる育児が中心にあり、そこに加えて料理や洗濯、掃除など日々の家事が連なる。〈社会〉から隔絶された〈家〉では、仕事や社交において要請される論理と速度から遠く離れ、赤子の寝息と泣き声が織りなす静寂と喧騒の反復と、授乳と排泄をはじめとする言語以前の欲求と生理の次元の厚みとがせまってくるような豊かな時間が支配する。幸い恵まれたことに義母や実親の手厚いサポートがあり、どこか合宿のような興趣もあるのだが、そのような豊かな時間のなかに微睡むようにして、孤独な読書や気ままな遊歩の自由は否応なく圧迫されている。

 そんな赤子の生命が刻むリズムの合間合間から時間を掠め取るようにしてかろうじて頁を繰り、そこで一息がつけるのだが、そのようにして読んだJ. M. クッツェー『マイケル・K』は、図らずも〈社会的時間〉から逸れていく時間性のありようを卓抜した筆致で描き出し追体験させるものであった。

 アパルトヘイトの残る1980年代初頭の南アフリカで書かれた同書は、ケープタウンで庭師をしていた主人公マイケル・Kが、内乱の勃発とともに職と住居を失い、病身の老母を連れて内陸の農場を目指す旅路を描く。生まれつき口唇裂を患い、寡黙で人付き合いも苦手なマイケル・Kは、途中、自身に残された唯一の存在といってよかった老母をも喪うという冷徹な現実に直面しつつ、文字通り身一つとなって放浪生活をはじめる。身分証や通行許可証のような身元の同一性や権利を保証する文書も、生活に必要となる食料や様々な資材を購入するための金銭も、彼は持たない。それゆえ途方もない距離を己の足で独力で踏破し、パチンコで野鳥を狩り、素手で山羊を捕獲して絞め殺し、空き家に忍び込んだり手近な素材で仮ずまいを建てたりして雨風をやり過ごさなければならない。現代社会においては、どこかへ移動するためには鉄道や自動車が、何かを食べるためにはレストランや食料品が、住むためには専門業者が建てた住宅が、それぞれ用意されている。様々な財やサービスの生産は分業によって異なる生産者たちによって担われ、消費者は金銭を差し出すだけで自身では生産する時間も技量も持たないそれらの恩恵に預かることができる。しかし職も住居も失って身一つで露頭に放り出されたマイケル・Kは、そのような社会的分業の成果へのアクセスを閉ざされ、あらゆる目的のための手段を自力で満たさなければなさねばならない。それゆえ彼の生活においては、基礎的な欲求を満たすための諸手段のやりくりに関する関心が肥大化し、大部分を占めるようになる。一般的な現代生活においては他者に語るに値しない生活の些事として考慮の埒外に置かれるような微細な一つひとつの行為がそこでは存在感を放ち、驚くべき解像度によって捉えられる。

 そのような生活のありようを目撃するうちに、かつて学生時代に欧州の某地方都市で交換留学をしていた一年の追憶へと誘われていった。それまで実家であらゆる家事を親に丸投げしていた私は、はじめての一人暮らしとなった海外生活の一年で、二十歳そこそこの人間特有の青臭い自意識に囚われ、いかに節約して慎ましく生活を成り立たせられるかに熱を上げていた。極小の寮を借り、外食を極力控えて自炊を重ね、1ユーロでも安く済ますために少し離れたスーパーを利用し、洗濯は極力溜め込んでからコインランドリーへ向かった。月2ユーロの電話とSMSだけの携帯プランを選び、大学や友人宅へ移動する際もトラムに極力乗らずにレンタサイクルであらゆる場所へ漕ぎまくる生活。大学院の学位取得型ではなく気楽な学部の交換留学で、取得単位などの制約もなかったから、社会に課せられた時間が蒸発し、代わりに生活の大半をこれらの些事が占めるようになっていた。振り返ってみれば優雅さとは無縁の、未熟な生活者によるお世辞にも他人に誇ることのできない不格好な生活だったが、そこには乏しい資源のなかで身一つでやりくりする者に許された、ある意味では豊かな時間が息づいていたのだと思う。

そんななかでもとりわけ、夏の終わりに向かって、彼は怠惰を愛するようになっていった。好きでもない労働からあちこち盗むように再利用する自由時間ではなく、花壇の前にしゃがんで指でフォークをぶらぶらさせながら人目を盗んで楽しむようなものではなく、時そのものに、時の流れに身を委ねるような、この世界の地表いちめんにゆっくりと流れ、彼の身体を洗い流し、脇の下や股下で渦を巻きながら瞼を揺するような時間、そんな時間に身を委ねる怠惰。やるべき仕事があっても、楽しいとも不満だとも思わない。どちらでもおなじだ。午後いっぱい横になって眼を開けたまま天井の波板トタンと錆の跡をにらんで過ごすこともある。気が散ることもなくひたすら鉄板をにらんでいたが、その線がパターンやファンタジーに変形することもない。彼は彼であり、自分の家で寝ている。錆はただの錆で、動いているのは時間だけ、自分を乗せて流れつづける時間だけだ。(…)暦と時計の枠の外で、幸いにも忘れ去られた片隅で、半ば目覚め、半ば眠ったように彼は生きていた。腸のなかでまどろむ寄生虫のようだ、石の下のトカゲのようだ、と彼は思った。」(J.M.クッツェー著、くぼたのぞみ訳『マイケル・K』岩波文庫、p.180-181)

放浪の果てに辿り着いたとある農場にモルタル造りの粗末な住まいを築き、かぼちゃの栽培をはじめるマイケル・Kの生活を、クッツェーはこのように描き出す。そこに流れる時間感覚は、私にも心当たりがある。あの頃の不器用に浪費された膨大な時間を思うとき自然と浮かんできてしまいがちな恥じらいや後悔を、クッツェーの筆致で紡ぎ出されるこの描写は適切な言葉によって昇華し、歳を重ねるとともに忘れてしまっていた豊潤な地点へと再び連れて行ってくれるように思う。

 むろん、私の場合にはその生活の土台には望めば惜しみなく仕送りをしてもらえたであろう恵まれた境遇があり、一方でマイケル・Kの生の遠景には、アパルトヘイトという構造的な差別と暴力が渦巻いているという点で、両者には厳然として隔たりがある。マイケル・Kが紡ぐ静かで豊かな時間は、あくまで社会的に見れば不法占拠であるという事実に根ざしており、また背後では戦禍の悲惨があって、脆い基盤の上にかろうじて成立しているものである。事実、彼はその後、数ヶ月の苦心の末に収穫間近だった農作物の大半を野盗の追い剥ぎにあって一瞬で蹂躙され、次いで反逆集団の手先とみなされて収容所に連行される。そのような真の貧困や脆弱さは、縛りプレイのように親から与えられえた資源をあえて制限して営まれていた当時の私の生活には無縁だった。否、より正確には、いまここでは書かないでおくいくつかの経験を通じて、私の当時の生活の近傍にも排除領域の脆弱な生を生きる人びとの存在が確かにあったのだが、しかしやはり私自身の生活は、十分な福利に恵まれた者のなすままごとのようでもあった。

 けれどもそのような社会的隔たりを構成する諸力が明滅しつつなお、ある瞬間においてはまったく異なる社会的位置にある者たちが通じ合える時間性がこの世界にはある。そしてそのような、おそらく〈普遍的〉という手垢のついた言葉を当ててもよいであろう時間性を描き出すところに、文学の力の一端があるように思う。

 先ほどまで寝静まっていた我が子には再び授乳の時間が訪れて、ややぐずりながらも飲んでいる。言葉もなく乳を飲み、排泄し、眠ることを繰り返す赤子の生がいま我が家に刻んでいるこの時間も、〈普遍的な時間〉に確かに通じているように思う。そしてやがてこの子もまた、そのような普遍的な時間をくぐり抜けて、別のどこかへと歩を進めていくのだろう。