みんなが幸せであればいい

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みんなが幸せであればいいと思っている。

世界平和も願っているが、それよりも生きている全員が幸せでいてほしいと思う。(そのためには世界平和はとても大事だと思う。)人間だけではなく地球上に存在するすべてが幸せでいてほしい。願わくばそこにわたしも含まれたい。

最近のX(Twitter)のトレンドをみていると、病気や障がいをもっている子どもを産むなとか、親が元々もっているならさらに産むな、とかなんというか本当にかなしくなるというか辛い気持ちになる主張が流れてくる。もちろん国民の総意ではなく、一部の声がばかでかい人が叫んでいるだけだとは思っている。だが、その主張はあまりにも辛い。わたしも病気をもっているので、じゃあわたしは生まれなかった方がいいんですかね?子どもを産んではいけない人なんですかね?となる。まあそれは自分が決めればいい話だが、その主張を聞くとなんか辛いなーとなる。

一部の声がばかでかい人の中には、病気や障がいをもっていない人も含まれると思う。久しぶりにはっきりしたことを言うが、想像力が足りないと思う。全体的に想像力が足りない。というか、想像力がないんだなとなる。ゼロです。ゼロ。

ここまではずっと思っていたが、じゃあわたしはどうするべきなんだろうとも思っていた。今日、あるフォロワーが「生きるのが苦しい人も生きやすいように整備された世の中を目指すべきだ」という文言を言っていてあぁそれだなぁとなった。言われてみてばその通りすぎるし、なんで今までその結論に辿り着かなかったんだろうと恥ずかしく思った。

そもそも病気や障がいをもっているから不幸せという主張は安直だと思う。外野が決めるべきではない。そして、世の中はグラデーションで、環境もグラデーションで、性格や考え方もグラデーションだ。一概に言えるわけではないと思う。

わたしたちができるのは手を取り合って生きることだ。それぞれ長所や短所を補い合って生きていけばいい話で、病気や障がいをもっている人を絶対に排除するべきという話ではない。(病気や障がいをもつこと万歳という主張なわけではなく、わたしは、ただ助け合えばよくね?という主張がしたい。)

ただ、マイノリティばかりに配慮してマジョリティが生きにくくなることは違うと思う。最近の世の中はそういう流れがでかいなぁと思っている。そうはならないでほしい。みんながハッピーになるにはどうすればいいのかっていうのはすごく難しくてデリケートな問題だと思う。まだわたしもどうすればいいのかわからない。生きているみんなで考えたい問題だと思う。

ここまでは書けたが、よくわかんない文章になってしまった。また考えがまとまって気が向いたら加筆修正しようと思う。途中で投げちゃったけどいつかまた。

(ここだけの話になるが、病気をもっているわたしが子どもを産んでいいのかという気持ちはめちゃくちゃ持っている。今の気持ちとしては、絶対産みたいわけではないが、もし好きな人ができてその人との間に子どもがいたら幸せかもしれないと思った時のことを考えている。わたしの病気は遺伝性があるらしいので、子どもが病気に苦しむ可能性がおそらく平均より高い。わたしはどんな選択をすればいいんだろうか。どんな選択をしても後悔しそう。もっとわたしたちにとってやさしい世の中だったらよかったのにな。わたしがつくるしかないな。)

@awaiamenoh1
歌いながら生活がしたい