アルバイト3連勤をこなした。ずっと体力も気力もなくて連勤をしてこなかったので、カレンダーを遡ってみたら、連勤するのが2年ぶりだった。周りには及ばないかもしれないけどわたし頑張ってるよ、えらいね。
おそらく疲れのせいなのだが、1.5ヶ月ぶりくらいにしんどい瞬間が周期的に訪れている。1.5ヶ月、たまに元気すぎるほど元気だった。でも、本来わたしもあなたもずっとずっと元気に過ごせるべきなんだよ。つらいとも死にたいとも思いたくないし思うべきじゃないよ、しんどいもん。おれたちは心穏やかにあたたかく生きる権利がある。
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本にするための原稿をふたつ書いて公開した。原稿は、半分くらい公開して半分くらい本でしか読めなくしようと思っている。見せたくなってしまうので、できるのかはわからない。もっと私的なことを書きたいが、当たり障りないことばかり書いてしまう。もっとわたしの奥深くのことについて書きたい。わたしの現在地がわかる本にしたい。多分、不特定多数というよりは、わたしのことを間接的にでも知ってくれている人が手に取ってくれる本なので。次出す本からは、もうすこし大衆に向けて(でも目の前のあなたに向けて)書きたい。今日も原稿を書こう。
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つらいなってひとりで膝を抱えて蹲っている時ってどうしたらいいのだろう。人の手を借りたら立ち上がれる可能性が少しだけあがるけど、相手も暗い気持ちになってしまったらどうしようだとか、そもそもどうすればいいかわからないだろうし(わたしもわからない)、迷惑だよなとか考えている。助けてほしい時に助けてほしいと言える人間になりたい。あっけらかんとうわーん!助けてよ!!!こうしてほしい!!!って吐き出したらいいのだろうか。難しい。そもそも友人にそんなことを言ってもいいのだろうか。わたしは恋人がいないが、例え恋人がいたら恋人になら言ってもいいのだろうか。恋人と友人の違いってなに?そんなに存在意義がちがうものなの?わからない。まあいいや。とりあえずとにかくしんどい。
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SNSをみていたら、この世の中は全てのことが傲慢と呼ばれたり、自己中心的と呼ばれたり、自分勝手と呼ばれたり、押し付けと呼ばれることばかりなんだなと思うようになった。クソな世の中だ。やさしさなんて世界に存在しないのかもしれないと怖くなる。全部わたしの勝手な気持ちでやっていることなのかもと思ってしまう。それでもわたしはあたたかくやさしい人間になることを諦めたくない。これからも何度も選択を間違えると思う。人を傷つけると思う。それでも、それでも、と唱えて、わたしの正解を探し続ける。そして、間違えて傷つけてしまった人に、傷つけちゃった⭐︎じゃあね⭐︎なんてしない。最終的にその人と離れるべきになっても、最後まで正面から向かい合いたい。もちろん、相手がそれをしんどく感じるならやめる。
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その人といる自分が好きだということは、わかりやすい優しさも渡してもらっているかもしれないけれど、それ以上に、みえない優しさを渡してもらってるんだよなと考えていた。不用意に傷つけないとか、気遣いとか、そういう優しさ。それは相手のことをよくみて思い遣っていないとできないことだと思う。
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こんなことを書きながら、かなしいなつらいなしんどいなと俯いて歩いていたら雨が降ってきた。地面が黒く染まっていく。孤独を薄めるための短歌をつくりたい。他でもないわたしのために。