小学生の帰宅時間にドライブをしていた。交通整理のおばさんが代替わりしたらしく、交通整理のおじさんになってた。彼女はいまどうしてるんだろう。世界は回るんだなと思った。誰が死んでも(彼女が亡くなったのかは全然知らない)代わりがいるのは寂しい。その人はその人なのになと思った。各々好きに生きるのが大事だとはわかっているが、むずかしいと思う。居場所だと思える場所をつくることは心の支えになるから。まあ両立もできるが。
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人を馬鹿にしたくないと思っている。でも、心のどこかでなんやこいつおかしいなって思うのはいいと思う。それは感情なので。でも、口に出して言うのはわたしはちがうなと思っている。
ポジティブな言葉に変換して馬鹿にするとかさらにしたくないなと思う。その馬鹿にする対象は世界線が変わったわたしや家族や友人かもしれないと思うとそんなのなんもいう気になれない。この世は偶然でしかなくて、自分が自分だったのもたまたまだと思っている。自分も一部の人から馬鹿にされる対象ではあると思うが、それをわかってるからこそ人を馬鹿にしたくない。「例えばこんな人を馬鹿にするのは嫌だ」って言おうと思ったが、その対象のことを馬鹿にしてんのか?と思ったり思われたりするのが嫌なので言わない。そのくらい苦手意識がある。
でも、言う人のこと全員嫌いなわけではない。その人も何かしらと戦っていたり、それを言いたい理由があると思うので。じゃあこんなこと文章にすんなよって話かもしれないが、長い間考えてあることがだんだん形になりかけてるシーズンなので許してほしい。
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お悩み相談を募集しているひと、できるひとは強くてやさしいと思っている。わたしはどんな言葉やアドバイスが相手のためになるのかわからなくて何も言えない。「そうか」しか言えない。次からは追加で「パフェ食べ行く?」って言おうと思っている。この話を終わろうと思ったが、一つ付け加えとくと、お悩み相談を募集してない人が弱くてやさしくないわけでもないと思う。強さの種類とやさしさの種類がちがうだけだと思う。そう信じたい。人の数だけ強さも弱さもやさしさもある。きっとそうやって支え合って生きている。
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自分が醜いことを知っているから、わたしは取り繕って生きている。醜いことがバレたくなくて、矢継ぎ早に綺麗に聞こえる言葉を発し、自分が目指す思考を目指して行動しようとしている。諦めたくない。いつでも綺麗でいつでも正しい人間になりたいわけではない。綺麗さも正しさも時と場合によって毒になることがたくさんあるし。わたしはどうなりたいんだろう。わからない。もう少し考える。ざっくりと「いい人」にはなりたい。でも「都合のいい人」にはなりたくない。自分を持った上でのいい人になりたい。いい人ってなんだろう。
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本(新刊)がどんどん値上がりしてるなと思う。毎回「高ぇ!」と思いながら買っている。知らない世界に連れて行ってくれる本って素敵なものだから、逆に今までが安すぎたのかもしれないと一瞬思った。しかし、本が安くたくさん売れる社会が1番素敵な気がするなと思い直した。本っておもしろいよ、みんなも読もうよ。(わたしのフォロワーさんはよく読んでる方が多いのは知っている。)
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赤裸々に言葉を書いていた時期がある。わたしのことを好きとコンスタントに伝えていただいている方たちはその時期に知り合った方が多い気がする。伝えていただけたとき、とてもうれしい。その時期が過ぎてから最近まで、心の中のことを(恥ずかしくて)書けなくて長い間もやもやしていたが、最近再び書けている気がする。すっきりはするのだが、これでいいのかはわからない。多分ずっとわからないまま書いたり書けなくなったりするんだと思う。
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読んでくれた方、ありがとうございます。おやすみなさい。