性善説を信じている。しかし、やさしさにもいろんな種類があって、生きていく上で獲得してきたやさしさというものもあると思っている。境遇、勉強、人間関係などいろんなことを経験して、考えて、この世にやさしくありたいと願っている人はやさしいと思う。生きてりゃいいことも辛いこともあるが、わたしは周りにやさしくありたい。わたしはやさしくありたいが、やさしくなれない人はやさしくなれないだけの理由があると思うので、絶対に責めずにいたいと思う。
時と場合によるが、正論はやさしくないことが多い。正論ばかり振り翳して感情を置いてけぼりにするのはやられるこちらも辛いが、本人も辛いやろなと思う。それだけ普段から自分に辛くあたってるんだろうなと想像してしまう。そういう人が、いつかなにかの拍子に壊れないことを祈る。
今日車を運転しながらつらつら考えていたことたち。