ネガティブの解像度を下げる

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昨日、死について記事を書こうと思ったが、途中で辞めた。死について解像度をあげるべきではないと思った。多分、死について本気で考え出したら近いうちに死んでしまうと感じた。

それと同時に、この前誰かがsnsで「ネガティブな感情は簡単な言葉でまとめるべきだ」と言っていてたしかにそうかも!となったことも思い出した。ネガティブな事象に対してはやばいとか無理とかそれくらいの解像度で過ごしたい。なんでやばいのかとか、なんで無理なのかとか考えると解像度が上がってもっと嫌になってしまうなと思った。

なんでわたしはこうなんだろう、なんで死にたいなんて思うんだろうなどとどうしても考えてしまいがちだが、わたしはこういう人間なんだーふーんそうか、死にたいと思うのかーふーんそうか、と思いながら生きたい。否定しないことがポイントだと思う。そうかー、そっかー、そうなのねーと少し他人事感を出すのもいいかもしれない。

それはそうとして、本当に死ぬことを選びそうになった時はどうすればいいんだろうか。わたしの希望としては、周りの大好きな人たちに直接感謝を伝えてからがいいけれど、直接感謝を伝えると逆にトラウマを与えてしまったりするのだろうか。例えば喫茶店でケーキを食べながらその話をしたら、その人はケーキのことを嫌いになってしまうかもしれない。喫茶店のことも嫌いになってしまうかもしれない。ケーキや喫茶店を見るたびにわたしを思い出して(もし悲しんでくれるとしたら)悲しい気持ちになってしまうかもしれないな。それは避けたい気持ちがある。

やっぱりあとでお手紙を読んでもらうのがいいのかもしれないね。もし何度も読み直してくれたら、読むたびに発見があるような手紙にしたいな。どうやってそうするのかは分からないけど。例えば手紙という名の本を作ってもいいね。遺書にしては壮大すぎるけれど、手紙とかエッセイとか色々詰め込んでちょっとだけ分厚い本にするとか。これ、毎年ちょっとづつ推敲を重ねて遺書を更新していってもいいね。遺書とは言わずに全世界に公開したい気持ちもあるな。

遺書で思い出したけど、わたしが好きな写真家の幡野広志さんのラブレターって本をとても読んでみたい。

まって?今このサイトで少し試し読みができたけどわたしがやりたいことってこれなのでは??

@awaiamenoh1
歌いながら生活がしたい