愛したいと思う。人を、ものを、事象を。
愛というものはなかなか難しいものだと思っている。愛は、一途で素敵なものだと言われるが、一歩間違えたら暴力的で独りよがりなものになりかねない。
例えば、わたしは友人たちのことが大好きで仕方がない人間なのだが、会っている時も、会っていない時もずっとずっと「君のこと大好き!愛してる!」なんて伝えすぎていたら、相手にとってわたしは怖い人間になってしまう可能性がある。怖がらせてしまうのは本意ではないし、この種類の愛は暴力というくくりに入るのだろう。本来、愛のかたちにふさわしいものは、相手を思いやるやさしい愛だと思う。相手を傷つける愛はよろしくない。
わたしは本来、愛が重い人間だったのだが、(そもそも愛に思いも軽いもないし、優劣もないと思う。全ては伝え方と、その人にとっての愛の扱いというかポジションがちがうだけ。愛は愛でしかない。)愛って一歩間違えると危ないのかもしれないと気がついてから、ちょっとづつ自分の内側に潜む愛を隠すようになった。愛って難しいよねぇというポーズをとりながら。
その結果、人の反応を毎回伺うようになり、なかなか好きだとか嫌いだとか口に出して言えなくなった。場合によっては、好きという気持ちを封印するようになった。自分の気持ちに不誠実になってしまった結果、自分がなにを好きで、なにを嫌いなのかが分からなくなってしまった。これは、人生において後悔していること№1だ。
もっと自分の愛の対象に対して自信を持ちたい。もっとわたしはこれが好きなんだよ!!!!!!という気持ちを大切にしたい。
人をもっと深く愛したいし、ものや事象ももっと深く愛したい。愛を持っている人間は本当にかっこいいと思うので、わたしもはやくそうなりたい。
自分の好きなもの、愛の対象ってどうやって思い出すんだっけ。それらのことを考えていると少し気分があがるものが愛の対象だとしたら、わたしは、周りの人、小さなプレゼントを周りの人に渡すこと、周りの人と楽しい時間を過ごすこと、好きな人のために小さな無理をすること、写真を撮ること、切り花を買うこと、文章を書くこと、考え事をすることを愛していると思う。
たくさんあるな。意外と大丈夫なのかもしれない。