さっき鏡をみたらひどい目をしているなあとなりました。鋭いともまたちがうかんじ。絶望というか殺意というか。よくわからない気持ちが色々混じっていた気がします。少しびっくりしたけど目つきを変える元気はなかったのでそのまま鏡の前をあとにしました。
昨日の記事読んだ方すみません。死ぬ死ぬ詐欺にはいるのかもしれないですが、今回のところ遺体になるのはやめとこうかなとなっています。この世に対する絶望が少しでも消えたわけではないし、終わるなら今だなとはいまだに思っているのですが、なんというか終わりにする気力もないです。
明るい光が一切みえなくて、四方八方が漆黒の中うずくまっている最中なのですが、なぜか突然Xに自死遺族の方のツイートが数個流れてきて、その方たちのツイートを遡っているうちに家族を自死遺族にしていいのかとちらっと一瞬だけ思いました。苦しませるならわたしだけ苦しめばいいかなとも思いました。一瞬でもその気持ちがあるならちょっとだけ落ち着くのを待ってみようかなという判断になりました。この判断が合ってるのかはわからないですが、終わりにすることはいつでもできるけど、生き返ることは不可能だから一旦ね、一旦。というかんじです。しんどい。嫌だ。
本当に終わる手前だったな(過去形にしていいのか微妙だけどあえて過去形にする)と思います。それに対する恐怖心や嫌悪感が一切なくなって、あーそうね、死なんて普通よね、うんうんそうだよねー、よーし、それではねーという気持ちでした。いつでもいいからこそ今日がいいとまで思っていました。悲劇のヒロインになりたかったわけでも、何か訴えたかったわけでも、泣いてほしかったわけでも、辛さをわかってほしかったわけでもなんでもなくて、終わりにすることしか自分を救わないし救えないという感情しかなかったです。とにかく自分のために終わりにしたかった。夜はとりあえず寝て、朝を迎えてみたものの、今度は起きた瞬間からイライラが止まらず、死ね、殺せ、ごめんなさいの3択しか考えられなかったです。心がでっかい鋭利なものになっていて加害性がすごかった。誰も傷つけなくてよかったです。
終わりにするのを一旦諦めて逆に絶望した気持ちもあります。この期に及んでまだこの世界に期待している自分への絶望感があります。でも期待をやめるのってあまりにも寂しくないかという気持ちも1ミリだけあります。この1ミリに賭けてみようと思います。
わたしはどう生きればいいんだろうと少しだけ考えられるくらいには復活してきました。週2回のアルバイトすら休暇をもらうくらいの体調の不安定さを持ってるって「あーあ」ってなりませんか。わたしはなります。あーあ、の2文字でしかない。(あなた休暇もらいながら遊んでるやんとなるかもしれないけれど、無理矢理でも遊ばないと本当に終わってしまうので許してほしいです。)
まじでここからどうしよう。正社員には今のところなれそうもないので、障害者手帳をとって障害者雇用を目指すか、自分で仕事を作るかの2択しかない気がします。自分で仕事作るってどうやるんだろう。作れるもんなら作りたいです。
とりあえず自己理解から始めようかな。本やブログを読んで病気への理解と自分への理解をして、そこからわたしでもできそうなことを探そう。メンターを探そう。
とりあえず精神疾患を持っていながらも生きている方の本を5冊買って、精神疾患の説明が書いてある本も5冊買って、自分についてや病気についての文章も引き続き書こうかな。パソコンやスマホにいっぱい書こう。毎日短くてもいいから2記事は書こう。そしてできそうなことをみつけてやっていこう。もしなかったら自分で動画撮って編集する遊びを始めよう。無理でもやってください。
それではまた。