文章を書こうと、写真を撮ろうと、絵を描こうと、仕事をしようと、なにをしても人間はそれをみて「その人の人柄がでるねぇ」と言う。とにかく人柄をみられる世の中なんだなと思う。
最近、過去に自分が書いた文章を見返していた。一通り読んだ結果、わたしの文章って本当につまんないなと思った。なんというか人の目ばかり気にしている文章な気がする。まあそれは幼い頃から生きている時間の毎秒毎分そうなのだが、それが文章にも表れていて本当に嫌だ。
わたしの書く文章は、やさしくみせかけようとして保身に走っていることが丸見えである。書く文章もそうだし、最近は日常で発する言葉もすべてそうだ。
大人になったということかもしれない。角を持つことを諦めたのかもしれない。文章が丸くなったのは、色んな方向から人の気持ちを考えようとしている結果とも言えるのだが、わたしの場合、やさしくみせかけているだけなので、つまりは丸くなったとみせかけているだけだ。本当はやさしくないことがだだ漏れ。一番恥ずかしいやつ。本当にどうしてくれるんだよ。
snsで尖った方がいいとは思っていないし、むしろsnsは不特定多数の人に見られるので、多方面に配慮しながらsnsをするのは全然いいと思う。でも、でもね、なんか最近、人の皮かぶった誰かがわたしのsnsを動かしている気分になってきた。それはちょっと言いすぎだけど。snsのための人格があるかんじ。人と接するための人格があるかんじ。snsに書いていることや、日常で発している言葉も嘘というわけでは全くない。全部本心。本当に思っていること。でもわたしの本当の心の奥底の意見はどこへいったんだろうとも少し思うというお話。このままだと全部人の意見に流される人間の出来上がりな気がする。もしまだわたしに本心というものが残っているのなら取り戻したい。snsと少し離れた方がいいのかもな。