しずかなインターネット

日記やエッセイにちょうどいい
文章書き散らしサービス

ログイン

【novel首塚】星を目指せば/22.懊悩

awawai
·
公開:2025/11/22

船は数ヶ月に及ぶ長い漂流を経て、大陸に辿り着いた。かの弘法大師が若かりし頃、一介の留学僧として乗った遣唐使船が嵐に遭い、やっとの思いで都に辿り着いた歴史を繰り返しているかのようだった。むろん、その功績によって秋津島に密がもたらされたことは言うまでもない。明星は幼い頃から空海和尚の著作を読んでその考えの奥深さや筆致の明解さに驚いていた。密を学ぶなら故郷でそれらの書物を読むだけで十分だった。

明星は、それでも仏たちの世界に少しでも近づくために大陸諸国を巡るつもりだった。現地で描かれては破壊されるため後世に図案が残らないという“儀礼のための曼荼羅”をその目で観るために海を渡ったのである。故郷で明星が今まで目にしてきた掛け図や壁画の曼荼羅は、いずれも不完全なものであり、便宜的に仏の世界を表現したに過ぎない。しかし、描かれては破壊されるその曼荼羅が、観想上の、宇宙の縮図たる曼荼羅を超えることはないであろうことも、明星はまた知っている。師から弟子へと曼荼羅の細部について伝える際、口伝では限界がある。自分の瞑想に浮かび上がる仏の世界をそのまま弟子の頭に移し替えることはできない。どうしても、“儀礼のための曼荼羅”を介して伝えることになる。観想される細部や色彩はそれ以上のものにはならない。己の観想をより精細なものにすべく、“儀礼のための曼荼羅”を観る必要に駆られていた。

荒れ狂う嵐の中、千里眼と順風耳にそのことを語った明星は、だからなるべく船は沈んでほしくはないが、天命ばかりは経を唱えようが何をしようが変わるものではないから仕方がないのです、と結んだ。そして、船上でふたりの正体を見抜いた唯一の人間、明星は、生きて曼荼羅の極意を学べという天命に導かれてか、長い航海を生き抜いて大陸の地を踏むことになったのだった。のちに、明星は諸国を渡り歩き、特に、東インドのオリッサ、天竺の仏教の流れを汲んで独自の仏教を信仰するカドマンドゥ、パタン、バクタプールの三都市などに滞在して数多の寺院を訪ねた。確かにその目で見たと信じている。記憶が濁流のように流れ込んできて、そのすべてを明星は思い出す。しかしそれとて、今となっては、まことのことか、夢や幻術の中でのことか、わからなくなっている。夢幻と事実、未来と過去の景色とが渾然一体となって、明星自身を分解し、再構築し、その脳裏にひとつの歪んだ世界を見せていた。


〈参考文献〉

『マンダラの密教儀礼』森雅秀,ちくま文芸文庫,2025

@awawai
趣味で小説を書きます。 lit.link/prmtlbrtori