映画『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を観た

awawai
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公開:2026/4/15

雨の水曜日、ひとりで傘を差して往復二時間歩き、映画館へ行った。車がない田舎住まいはこういう時不便だ。あいにくバスでは遠回りになり、歩いていったほうが早い。

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の原作はしばらく前に読んでいた。上記のようになかなか気軽に映画館へアクセスできないので、映画の公開は喜んでいたがなかなか観れずにいた。しかし、上映が終わる前に、また陽射しが暑くなる前に観に行きたくて、雨の日にあえて出掛けた。

映画の感想を書く。ネタバレを大いに含むのでまだ本作に触れたことがなく、いかなるネタバレも受け付けないという方は気をつけてほしい。


ネタバレは含むが、映画の内容を逐一追って解説したりはせず、自分の感じたことを思うままに書き連ねていく。よって、本作の考察や解説を求める方のニーズにも応えられない。あくまで個人の感想だ。

原作小説を読んだことがあり、映画も視聴済みの方向けの感想になると思う。

ちなみに観たのは字幕版だ。吹替版に文句があるわけではないのだが、予告を観るかぎり字幕版のほうが自然に感じたので。吹替版は観たことがない。その辺りもご承知おき願いたい。

前置きが長くなったが、本作はとても完成度の高い映画だったと思う。製作陣は映画としての魅せ方をよくわかっていて、小説で丁寧に描かれていた、地道で細々とした科学実験や主人公グレースの内省、人間が人類滅亡と天秤にかけた上で行った環境破壊などの描写はばっさり省いている。個人的に南極に核爆弾を落とすくだりや、サハラ砂漠のブラックパネル計画の描写は入れてほしかった。でもこの映画の作劇仕方ないと思っている。

説明も言葉少なに端的に。それによって、非常にテンポ良く観やすくなっていたと思う。ちなみに自分は数学や科学が大の苦手だ。そんな人間でも、原作小説も映画も楽しめる構成になっていた(とはいえ、映画版はかなり描写を削っていたので、小説を読んだことのないひとにはすこしわかりづらかったかもしれない、とも思う)。テンポやストーリーを優先したのだろう。

演出について。宇宙は広大だが、物語の大半は狭い宇宙船内の出来事だ。画的にも地味になる。そこで、投影装置で自然環境や花火を見せるなど、映画ならではの工夫がなされていた。小説版のヘイル・メアリー号にそんな機能はなかったはずだ。これで登場人物たちの感情も表わせるし、画面も華やかになるし、上手い改変だと思う。

ここからはキャスティングの話になるが、まず原作からして、「また白人男性が主人公か」というところで思うことがないわけではなかった。しかも、小説では言及がなかったが(訂正・小説でも言及されていた)、映画版では黒人のキャラクターがあの事故の犠牲になっている。黒人のキャラクターが途中で亡くなるというお約束めいた流れもなんとか回避できなかったものかと思う、もう二十一世紀も四分の一過ぎた時代なので。

作品に対して苦言を呈してばかりと思われるかもしれないが、もう一点気になったこととして、映画版ではグレースとストラットが「なんか良い感じ」の関係に描かれているのも奇妙に思った。かならず異性間恋愛を捩じ込まないと気が済まないのか? グレースとストラットは間違っても恋愛関係にはない。映画版でもはっきりとふたりの関係を明示したわけではないが、なにか匂わせめいた描写があったことが気になった。気にしすぎと言われれば気にしすぎなレベルではあるのだが。

とはいえ、ストラットの歌唱シーンは非常に良かった。あのアイデアは最高だと思う。「Sign of the Times」の歌唱シーンは、主役のライアン・ゴズリングがエヴァ・ストラット役のザンドラ・ヒュラーの歌声に心を打たれて予定になかったものの急遽撮影されたと聞く。あのシーンは、グレースとロッキーの友情譚に匹敵するくらい、本作を印象付けていると思う。良い歌声と訳詞だった。あのキャストたちが演じてくれたことを嬉しく思う。

ロッキーの話をする。みんなロッキーが大好きだ。小説では視覚的な情報がなかった分、映画では「エイリアン」の姿がはっきりと描かれていて、なるほど岩でできた蜘蛛のような姿とはこんな感じかと思った。動きが加わると一気に愛嬌が増す。ロッキーの登場シーンはこの作品の山場のひとつなのでは。最初は得体の知れない「エイリアン」だったロッキーという存在が、グレースにとってかけがえのない友人となっていく過程は、原作小説と同じく、ぐっとくるものがあった。

便宜上ロッキーは「彼」と表現されているが、エリディアンには性別がない(と自分は解釈している)のも面白い。姿かたちも人間とは似ても似つかない、また性別も設定していないことによって、グレースにとってロッキーはある種イノセントな存在になっているのではと思う。

本作では音楽が重要な役割を果たしていた。ロッキーが一度に五つの音を出すことができるため、まるで和音を奏でているかのように聴こえる。グレースは音楽のようにも聴こえる言葉を徐々に理解していきながらロッキーとコミュニケーションする。言葉の通じない相手との一からのコミュニケーションの仕方と過程が、小説でも原作でも非常に面白かった。これは異文化コミュニケーションの話でもある。

映画では、ザ・ビートルズの「Two Of Us」が効果的に使用されている。これも良いアイデアだ。映画を観る前、絶対ビートルズの楽曲を作中に入れてくるに違いないと思っていたが、期待を裏切らなかった。昔懐かしい旋律が、宇宙空間に浮かぶロケットや星々の光景とどこかマッチする。その他の音楽も本作の雰囲気作りに一役かっていたように思う。

おおむね感想は以上となる。現実世界ではありとあらゆるところで戦争が引き起こされ、人間同士が争っている。本作は、異種族間の友情を描くと同時に、人類が結束してひとつの困難に立ち向かう姿を描いてもいる。このような時代に『プロジェクト・ヘイル・メアリー』がたくさんのひとに知られるのはとても良いことだと思う。

自分も大宇宙で独りぼっちの時は、睡眠を誰かに見守ってほしくなった。

@awawai
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