2023年11月・東京旅行

awawai
·
公開:2024/11/15

◉はじめに

 イメージカクテルの体験と、2023年11月11日に開催された文学フリマ東京への来場を目的に、1泊3日の東京旅行に行きました。その際の旅行記録です。

 思ったこと、考えたことを要約せずとりとめなく述べています。特に、思考の脱線や、バーや文フリのこと以外で、書かなかったら忘れてしまいそうなことを細かな書き留めたい、というのがこの記録の目的なので、イベントやお店について知りたい方の参考にはならないかもしれません。その点はあらかじめご了承のほどお願いします。特に、文フリ東京の会場は2024年現在、東京ビッグサイト(東京国際展示場)に変更されている点にご注意ください。

◉1日目?

 9日の夜22時に岐阜駅を出発したJR東海の高速バスに揺られること8時間、早朝5時56分東京駅に到着。

 特にこれといって特別なことはなかったが、よく覚えていることがひとつ。日付が変わり深夜1時を過ぎた頃合い、足柄SAを出発したあたりで一度目が覚めた。気がついたら後方の座席で、出張と思しき男性ふたりが出身地や体調のこと等について会話をしていて、流暢な話しぶりも相まって心地良いBGMだった。

 そのうちのおひとりが、声が若くよく喋る方だと思っていたらかなりご高齢であることが分かり、自分がその歳になっても高速バスに乗る元気はあるだろうか、などと考えてしまった。

 他の乗客(一緒のバスに乗った実弟)は寝るに寝れなかったと苦言を呈していたが、わたしとしては良いものを聴いたという気持ちだった。

◉2日目

 バスを降りたところで、旅程としては早くも2日目に突入している。出発前からの懸念であったが、まずは街が目覚めるまで朝の時間をどうにかやり過ごさねばならない。

 時間だけはあるので、14時に予約したバー「inf」さんの場所を確認するべく西荻窪に向かった。天気が不安定でどんより曇っている。大きな荷物はコインロッカーに預けた。通勤通学の人たちの邪魔にならないよう気をつけながら周辺をぶらぶら歩く。途中、不動産屋のガラス戸に貼ってあった物件情報をまじまじと見てしまう。

 同行者はよくわからないタイミングで単独行動を宣言する。この時も散歩してくると一人で店を出て行ったので、この先の相談などはできなかった。

 同行者とはこの旅行中、ひたすら口げんかを交わしていた。きょうだいとはいえ分かり合えないことや許容できないことが互いに多々ある。眠れていない・疲れている・お腹がすいているときはかならず喧嘩になるし、しょうもないことでバチバチして、きょうだいって面白いなーと思った。件のバス内の会話のせいで眠れなかったとかで、同行者はグロッキーだった。わたしにしても万全とはいえない。体調を崩すのは仕方ないが、態度を悪くするのは相手に対する甘えだと思う。きょうだいの姿を「時差のある鏡」のように感じる。

 何はともあれ、自分らは東京の人びとにとっての日常にお邪魔している身で、行く先々で喧嘩していては普通に迷惑ということで一応和解した。

 天気のことはずっと心配していたが、モスバーガーで朝食をとったあと外へ出るとやはりポツポツ降り始めていた。ちなみに月見フォカッチャを食べた。もうすぐ終売になるそうだが、東京で初めてモスバーガーの商品を食べるとは思わなかった。馬蹄系のソーセージと半熟卵がやたら美味しかった。お腹が空きすぎていて何を食べても美味しかった。近くにドトールもあった。

 チェーン店以外の喫茶店などにも寄りたかったが、今回の旅行では生来の余裕のなさを発揮してしまった。精神的なキャパシティが少ないときに、とりあえずルールやメニューがぱっと見で分かり、何も考えずに注文できるチェーン店やコンビニのごはんはとてもありがたい。旅をすると、普段使わないコンビニにとてもお世話になる。自分にとっては、地元のスーパーではなく都会のコンビニ、というだけでもう観光。

 新宿に向かい、駅前の広場の鳩たちがぜんぜん逃げないことを同行者とともに言い言いする。鳩の写真をいっぱい撮り、ビッグカメラのビルもなんとなく撮った。

 前回の盛岡の旅には古い古いカシオのデジタルカメラを持っていったが、今回はスマホしか手元にない。

 朝9時過ぎなので、まだそこまで人はいない。それでも広場のあちこちに座り込んでいるひとたちが居た。少し歩くと、ごみの日なのか、それとも毎朝大量のごみをこうしてまとめているのか、大きな袋を手にしている人が時々いた。路上にも放置されたごみが目立つ。紀伊國屋書店のある新宿3丁目は、「歌舞伎町清掃センター」の管轄らしく、新宿区のホームページを見てもごみの収集日が分からなかった。この街の規模と消費の速度を思うと、収集日なんて決めていられないのかもしれない。少なくとも自分の目でみた新宿のイメージはそういうふうだった。

 紀伊國屋書店の開店を待つ。

 うろうろしたかったが、ぼーっとした気分になり、隣の大画面で映し出されるディズニー映画のプロモーション映像と、ディズニーストアの前で手を振るスタッフさんと、吸い込まれてゆくいろいろな人びとの姿を眺めた。外国の方も吸い込まれていったが、いったん通り過ぎてからふらりと戻ってきて吸い込まれてゆくひとが多くて見ていて飽きなかった。

 紀伊國屋書店では、たしか哲学のコーナーにあった『新百姓 一号「水を飲む」』を立ち読みした。対談もインタビューも雑誌のスタンスも面白いと思った。

 「増刷しない出版」を掲げていて、一冊一冊の物質的な希少性を証明するために、発行された6966冊すべてにシリアルナンバーがついているという。わたしがぱらぱらめくっていたのがどんなナンバーだったかは忘れてしまった。知らない本に出会うのはたのしい。

 同行者がごはん……と呟いたのでいったん書店を出る。傘をさしながらスマホをみるわけにいかず、近くにあった「Café Jr.」というお店に避難するように入った。お菓子やケーキも売っているようだ(レシートにも「クリスマスケーキご予約はweb予約で!」とあった)。

 わたしはナポリタン(南イタリアのトマトソース)とピーチティーをいただいた。セットで850円くらいだった。リーズナブルな値段で驚いた。ねっとりした甘みのある味で、でも田舎風というわけでもなく、バランスがよくて美味しかった。お客さんは次第に増えていったが、人が殺到するというほどではない。店内ではお静かにの表示があり、雨ということもあってかぼんやり薄暗く、居心地が良い。わたしたちが最初のランチの客だったためいちばん奥の席に陣取ることができ、また人の動きを観察して楽しんだ。少し休憩してから再び紀伊國屋書店ビルに戻る。

 また本屋かと思われるだろうが、一階通路の小路にはさまざまなお店があるとフォロワーさんに教えて頂き、ぜひ行ってみたいと思っていたのだ。

 「化石・鉱物標本の店」ではふたりの店員さんが独特のリズムで会話しており、またわたしは聴くともなく聴いて良いななどと思ったりした。生き物の化石はついじっと見つめてしまう。なかでもエビの化石がかわいかった。あんな大昔から一目でエビとわかるビジュアルだったんだな。ウィドマンシュテッテン構造の隕鉄を眺めていたら、店員さんに声をかけられてあたふたしてしまった。

 革製品のお店「yanpi」にて、ミュージシャンとかがよく腰のベルトにつけているやつ(ふんわり)を購入した。鍵をまとめるのによさそうだった。赤くてかっこいいと思ったので赤にしたが、同行者に「また三原色選んでる……」と言われた。同行者はメガネ拭きを買っていた。互いに良い買い物ができたと思う。お店の方々にも親切にして頂いて、いろいろお話ができて嬉しかった。

 ほか、サンリオのグッズを眺めて「カワイイ〜」を連呼するなど、結局13時ごろまで紀伊國屋書店ビルに居た。

 このあとは西荻窪のバーに向かう。

イメージカクテル体験

 イメージカクテル(コンセプトカクテル)を体験する目的は「自創作バンドのファンごっこ」。以下に来店までの経緯とオーダーシートについて記します。

 〈経緯〉

 SNSのフォロワー諸氏が続々と〈概念〉を外部サービスに発注して浴びており、ただならぬ様子だった(語弊がある)。楽しそうだった。

 レポートを複数拝見したり、通話でお話を伺ったりするうちに自分でも興味がわいてきて「金銭面のあれこれはなんとでもなるが、人生は一過性で時間的・精神的余裕と意欲は後からどうにもならないかもしれない」という考えのもと東京行きを決める。

 ネガティブから出発した動機のようだが、わたしも創作キャラクターの概念を浴びてみたいというのが最大の理由だった。乗るしかないこのビッグウェーブに。

 ※以下は自分自身の「イメージ◯◯商品・サービス」に対するスタンスと納得の話なので飛ばして頂いて問題ないです。

 

 自作品のキャラクター単体の“イメージ”を摂取することにはあまりピンとこなかったが、二人以上の集合体としての“イメージ”を他者に作って頂くととどんなものになるのか、には大変興味をそそられた。それはつまり、「二人以上の人間が形作っている何か」をも客観的に表現されることではないかと思う。

 雰囲気やムードのことでもあるが、「登場人物たちの人生の余剰の部分(必ずしも不要で余分という意味ではない)」を他人の時間や労力を割いてもらい考えて頂くのだと考えると、良いとか以前に想像もつかない。また、単なる消費行動に留まらず、バーという場所で店員と客とが普遍的に繰り広げてきた、人生のゆとり部分を醸造する交流の延長のように思えた。

 また、架空のキャラクターとはいえ彼らは「一般の個人」である(作中で知名度があるわけではない、あったとしても誰かの推しで居続ける義務はない確固たる個人である)。自作登場人物の情報凝縮体を「推しの要素」として飲むことに対する抵抗も、社会に向けて何かしら発信している「公的(ここでは公の立場の意)な集団」が対象となれば、自分自身の倫理に反さず済んだ。

 架空のキャラクターと現実の人間は、はっきり二分できるものではないと思っている。近年ではVtuberなど「境界の曖昧性こそアイデンティティ」という存在が徐々に社会に受け入れられている。彼らは私たちであり、さらに言えば彼は私である可能性がある(話はずれるが、現代社会において「私だったかもしれないあなた/あなただったかもしれない私」を想像し語るには、世代的な親和性からしても、もはやデジタルな出自の存在に触れないわけにはいかないのだろう。「自分が初音ミクだったらあんな膨大な曲歌いこなせないわー」みたいな)。ここにも境界性の滲みがみられる。

 たとえばの話。私あるいは親しい個人の〈概念〉を、顔も名前も知らない赤の他人に嗜まれていたら、と考える。何とも思わないかもしれないけれど、何かを思うかもしれない。わたしが気軽に「推し」と呼ぶその人間は、わたしの人生を預かるわけではなく、あやまちだって起こす、ただのヒトに過ぎない。その感覚を自作登場人物や親しい周囲の人にもスライドして当てはめることを忘れないでいたい。

 むろん、人様に対して個別にどうこう言うものではない(とはいえ、こういう考え方が「厄介」と言われるのもまた本意ではないから書き方が難しい)。わたしの内心の整理整頓が下手なだけだ。こうしたサービスの目的や客層にはあまり同意されない方針かもしれないし、おまえはターゲット層の埒外と言われるかもしれないが、この納得を無しには足を運ぶことはなかったのでこうして記録しておきたい。サービスや人を否定する意図はないことも付記させて頂く。

こういうことを考えていたのだが、ここで同行者の一言。

「来たぞ。失えよ我を」

 失えよ我を。いい言葉ですね。

 たしかに。御託は抜きにして当日の動きを記録する。

〈同行者〉

 後述する兄弟のキャラクターを注文するのにリアル弟に付き添ってもらっているのがわりと気恥ずかしい。ふたりそろってジャンルは違うがオタク趣味なので同行してもらえて助かった。

 地元と名古屋の友人たちは揃って「イメージカクテルにはとても興味あるけど、東京に泊まりか…昼間で日帰りできるスケジュールだったらな…」「断っておいてあれだが一人で金曜夜の歌舞伎町(※宿泊先)はやめた方がいいよ」という反応だったので、ほんとうに助かった。誘ったのは予定のちょうど一か月余まえだったが、希望休を使い切って身動きがとれないという友人もいたのでもっと前々から計画していたらよかったかもしれない。

 しかもわたしは翌日に文フリ東京に来場予定で、それにも付き合ってもらえるか(元々一人で行く気満々だったので別行動でも問題ない)となるとかなり厳しかったのだが、弟はイメージカクテルにも文フリにも「行きたい」人で、なおかつ夜行バスも辞さないフッ軽の強者だった。灯台下暗し。

 自分も安全面でかなり安心できるので精神的に余裕ができた。あとイメージカクテルで気がおかしくなりそうになってもとりあえず独り言を口走る不審者にはならずにすみそう。

 このフッ軽同行者がオーダーしたイメージカクテルもすばらしくて、他者の幻覚に対する他者の解釈を浴びることの喜びを「良いね」「良いよね……」と分かち合えたことを述べておく。

〈オーダーシートについて〉

 infさんのホームページからダウンロードできるオーダーシートを事前に記入し印刷した。

 こういったキャラクターシート?的なものを埋めるのが新鮮で楽しかった。

 まずはファーストドリンクを注文する過程で自分の好みを伝える。

 アルコールなし

 苦手な味 ビール、とうがらし系の辛味、シナモン、花系、柑橘類

 備考として、辛味全般苦手(炭酸はOK)

 辛味、柑橘系のお味は「一口程度なら飲めるけれど楽しめない」。

 花系は想像するにちょっと苦手かもしれないので避けた。

 シナモンは飲めるが味がいつも思い出せない。

 ふと冷静になると味オンチの自分の舌がきちんとバーテンさんのちりばめてくださるであろう情報を拾えるか微かに不安になった。

 作って頂いたイメージカクテル(コンセプトカクテル)は添付した写真の通り。

 オーダーシートの内容は以下。

 SNSの一次創作アカウントにキャラクター設定として投稿した資料(創作バンド紹介テンプレ等)には含まれない情報もある。

 特にイメージモチーフなどはあまり公開する機会がないと思っていたので、自分が公式のはずなのに大丈夫か? と思った。大丈夫だった。

 スタッフさんにキャラ二人組のオーダーであることをお伝えする。シートは事前に印刷したものを準備していたのだが、一次創作ということでキャラクターの外観のわかる資料があれば……と声をかけて頂いた。事前情報があったため戸惑うことはなかったが、スマホで画面を出すまでにすこし時間を頂いてしまったので、資料もプリントアウトしておけばよかったなあと思った。

◉キャラクター1人目

名前 鷺山志樹香(さぎやましずか)

性別・年齢 男性・36歳(1974年生)

身長・体格 168cm?・骨太・がっしり

イメージカラー オレンジ・焦茶・ゴールド

イメージモチーフ 森林、山、野僧、修行者

性格

・こだわりが強く、飾らない

・無口、植物的な精神のタフさ

・まっすぐでよそ見をしない

・言葉を使わない表現が得意

・切迫しつつも透徹な歌詞、

 一音一音噛み締める歌唱

◉キャラクター2人目

名前 鷺山五十鈴(さぎやまいすず)

性別・年齢 男性・23歳(1987年生)

身長・体格 173cm?・細身・筋肉はある

イメージカラー 深い青・黒・シルバー

イメージモチーフ 河川、農地、信仰、開拓者

性格

・柔和、内心がややシニカル

・節制、信心、ラフ、広い心

・理性と青臭い衝動性の拮抗

・空虚な自分が嫌い→多趣味

・クリスチャンロックを基本

 とした作曲、澄んだ高音

 うーん。鷺山兄弟ポケモン説。ゴールド/シルバーの対なあたり特に。

 絶妙なダサさ、もとい素朴さ、あんまり器用でない感じ、伝われ……と念を送る。

 年齢はここでは36歳・23歳時点の彼らということにする。

 モチーフは具体的なものがあまりないので困った。

◉ふたりの関係性・好きなところ

・13歳離れた実の兄弟。CPではありません。

・東海地方のアマチュアバンド。デュオ名はPuzzlyze(パズルのピースのように凸凹)音楽性は内向的なHR/HM、

ポストグランジ? 兄はギター・歌/弟はベース・コーラス

・BJC、Nirvana、Three Days Graceなどをカヴァー(具体的な志向・傾向が分かったほうが良いだろうとの判断で記載)

・お互いを誇りに思ったり心配もするが喧嘩もよくする

・仲間たちと共に形を変えながらも生涯音楽と向き合います。

・泥臭く美しい音楽を兄弟ふたりで奏でようとする姿勢が清く、衝突しても必ず光明を見出す点に勇気づけられます。

 スペースに限りがあるので文章は生やしたり削ったり難儀しました。「見えるべきではない個人情報」を消したり。

 (勿体なくない? と自分のなかの名もなき他者像が囁くが、あくまで「Puzzlyeのファンごっこ」がしたいので、兄弟間の具体的な私生活エピソードについてはわたしは知らないという設定でいく)

 最後の二文(未来への言及)についてはわたしの妄想と幻視。許して。いや、一部どころかすべて妄想で幻視なんだよ。正気の沙汰ではない。

◉オーダーシートには書かなかったがわりと重要だと自分では思っていること

・心霊、怪奇、幻想小説と同一世界線で霊感ゼロポジション。

・ふたりとも犬好き。

・志樹香は寝る>食べる、五十鈴は食べる>寝る。欲求のバランスが取れているときに創作作業すれば良さそうだが、著しく寝ていないか食べていない時に良い曲が出来上がってしまう。

・笑うと同じえくぼができる、前髪の生え際が同じ、よくみると似ているところもある

・五十鈴の雰囲気は、絵や言葉にするのがいつもむずかしい。誰にでもだいたい同じ円形の距離感を保つ、人の輪のなかではバランサー的なアンテナをいつも張る小器用な立ち回り、でもあんまり洒落たおとなじゃない、いつまでも青臭いというか。

・小説作品では鷺山兄弟の一人称視点のお話は取り扱わない。他人の目からみて(特に志樹香のことは)不可解に映るだろうし厳しい目で見ることもあるだろう。そういう目線を無いことにはしたくない。彼らにとって厳しいものは、彼らの音楽に必要だ。

 連想ゲームのように手元の手帳につらつら書いたものも含む。

 こうして見ると削ってよかったなと思います。

スタッフさんによる解釈と、用いたカクテルの説明が非常に目から鱗だった。

これはもう鷺山兄弟ではなくPuzzlyzeのイメージカクテルだった。いや、仲間たちの存在も伝えたからそれで正解なのだが、オーダーした人数以上の人影をカクテルの中に見出してしまい、消費者としてやましい気持ちにすらなる。

〈当日の自分のメモ〉

・主たる色味は緑と青。シロップはモナングリーンアップルと同じくモナンブルーキュラソーを使用。山間部の爽やかさと河川の清らかさを表現されたとのこと。さまざまな色が混在していて見ていて飽きない!

・アクセサリー💍で精神的な繋がりを表現してくださったとのこと

・甘くてからい!!!(一口目)でも爽やか!

・からさはノンアルコールジン由来。ハードさを演出してくださった。

・ウッディな香り、あとから混ぜるとスパイシーな甘み。このグラスの清涼なバックグラウンドと一癖ある刺激的な味覚の表出、ギャップが素晴らしい、たまらない。

・最後のほう、上からみるとほんとに川のようで、透き通った鮮やかな青さできれい。

・グラス越しにみるとグリーンみがある。puzzlyzeだ…🧩

・時の流れ、バンドの変遷、すべてが「グラデーションで変化していく過程」を表している

・最後の最後は本当に甘くてスパイシーでからい。飲みやすいけど濃い。オーダーしていないはずのメンバーそれぞれが主張している(ように思える)。完全に幻覚。

 ここで、同行者が関東の友人に会うため離脱。ひとり残されて言葉を完全に失う。

 一人でじっくり飲みものとお菓子を楽しみ、支払いをしてお店を出た。いろんな意味でかなりお腹がいっぱいになった。外は雨。どこかに折り畳み傘を忘れてしまったらしく、コンビニで命からがら傘を買う。

 宿は高円寺にとってある。歌舞伎町に恐れをなして、ベッドが空いているならどこでもいいからと飛び込んだ先が高円寺だった。

駅からアーケードまで直結というか一本道で、アクセスがとてもわかりやすい。暗くなる前に着いてよかった。利用者はほぼ外国の方。街の気風は今まで感じたことがないものだった。洗練されていたというのが嘘偽りない第一印象で、かなり感度が高い街なんだなと思った。チェックインしてから古着屋を眺めて歩いた。あまり遠くまで行けなかったのが残念。雨のためか人通りが少なかったが、普段わたしの住んでいる街の平常時の人通りよりは多い。ある店先にチェアを置いてあって、晴れていたら楽器を演奏するんですよ、と教えてくれたひとがいた。どこからきたんですか、と尋ねられて答えると必ず驚かれた。世界のどこから来てもそうして旅人をねぎらってくれるのだろう。みんな人慣れしていて親切だなあと思った。

 泊まった部屋には四つのベッドがあり、英語を話すお姉さんたちとぽつぽつ話した。最初、わたしは自分の泊まるベッドを間違えてしまったのだが、笑って許してくれてかなり優しいひとたちだった。申し訳なかったのであとでチョコレートのお菓子を差し入れした。拙い英語でお風呂はどこですかと聞いたらそれも親切に教えてもらった。宿のひとが基本的に不在なので、わからないことは同室のひとに聞くしかない。夜ごはんを食べ損ねたことに気付くが、ひどく身体が緊張していて少しもお腹が空いていない。とりあえずシャワーを浴びた。明日は文学フリマ東京。親切にしてくれたお姉さんは故郷にいるお母さんと長いこと通話をしていた。リスニングは得意ではない。雨の音と流暢な英語をぼんやり聞きながら眠った。

◉3日目

 11日朝。ガラガラと近くのお店のシャッターが上がる音と人の声がして目が覚めた。気取ることの何一つない生活音。東京に住んでいるひとたちのくらしが近くに感じられてうれしい。この朝の音を聴くなかには夢追う東京のバンドマンも多いのだろう、と空想する。昨夜のお姉さんたちに一声かけたかったが、みんなめちゃくちゃ爆睡している。おそらくわたしのように弾丸ではなく何泊もしているのだろう。ドミトリーも生活の場だったのだ。邪魔にならないよう1人でひっそりとチェックアウト。少し急ぐ。

今日唯一の単独自由時間である午前中のタイミングで、東京メトロ銀座線に乗った。車両やホームを見ることもできてうれしかった。銀座線は日本で最初の本格的な地下鉄ということで、いちばん浅い地下にある。つまり地上から最もアクセスしやすい。わたしは小さなサイズのかわいい鉄道車両が大好き(ミーハー)なため、銀座線を見られてよかった。特にどこに行くともなく浅草の通りをうろうろしているうちに同行者との待ち合わせ時間が迫り、慌てて東京駅に戻る。4分おきに列車が来るらしくビビった。行って帰るだけで1時間以上かかって焦ったので土地勘というのは本当に大事だ。

 今回の旅行中は、JR中央線にもとてもお世話になった。駅ではもっと迷うかと思ったのだが、東京はどこへ行っても案内が行き届いていて大変ありがたかった。

 目指すは東京流通センター。浜松町から同行者と合流し、東京モノレールの普通列車に乗る。わたしは進行右側の窓際に座った。車内は満員。モノレールは芝浦にかかる沢山の橋、そして東品川の街を臨みながら勝島運河と京浜運河の間を走り抜ける。移動時間は約10分。わたしにとっては文フリのために向かうのは今回が最初で最後になる。空に晴れ間が見えてほっとした。この景色を懐かしむことができるひとが羨ましかった。水辺にいる鳥を探すのが楽しかった。

 一応、混雑を予想して推奨されていた12時半以降に来場した。それでもってもすごい人だった。文フリ東京は大きなイベントなんだな、ていうか実在するんだな、と実感する。

 文フリ東京でお会いした方々にお手紙を渡そうと思っていたのに、書いた手紙を家に忘れてきた。そうなることを見越してか、封筒や便箋を持ってきていた。それも駅で預けた荷物のなかに忘れてきた。いざ現地に行くとあまりの人の多さとド緊張で、何かを渡したりする以前に目的のブースへ辿り着けない、あるいはご挨拶でいっぱいいっぱいになってしまった。なんのこっちゃすぎる。旅先の不慣れここに極まれり。しかも、十分に滞在することができたのは第二展示場だけだった。心残りはあったけれど来場者12890人のうちの1人になれてよかった。

 各ブースでお話してくださった方々、ありがとうございました(入手した書籍は帰りのバス内でさっそく楽しみました)。

 旅も終わり、バスを待つために東京駅へ。

 少しでも東京観光っぽいことをしたくて東京駅の丸の内駅舎を眺めたり、駅構内の天井の装飾を眺めたりした。構内の自動券売機のところで、有名な原首相遭難現場を見た。ただし、人がたくさん並んでいたのでパネルを読めるところまで近づくことはできなかった。外に出て真ん中に立ってみると、シンメトリーが美しい。素晴らしい建築物だなあと思う。東京駅舎は古めかしいが、周りを見るとでかいビルがばんばん建っていてそのギャップがもう面白い。そして皇居外苑が延々と広がっている。丸の内中央口の広場から見えるのはほんの一部で、ここだけは東京の夜景がない(夜には真っ暗な)場所なんだな、と市井の暮らしとの圧倒的な隔絶にふと思いを馳せた。人間を人間扱いするという常識は「ここ」にはない。直接来ることでもなければ普段は特別に何か思うことすらない立場のひとたちについて考える機会になった。

 古きも新しきも同じ空間にあって、常に更新され続けている。めまぐるしく変わり続ける進化の街でありながら、過去が蓄積されていく。東京は歴史ある街だなと思う。

 ちなみに、東京駅のバスロータリー近くにあるお荷物預かりカウンターには大変お世話になりました。便利!

 はとバスで都内をぐるりと巡ってくれるツアーがあることを知り、当日空きがあれば参加したかったが、時間的に余裕がなくあえなく断念。帰路も名古屋までの高速バスを利用した。何も食べていなかったので発車前におにぎりやお菓子などを買い、バスターミナルの柱の影あたりで黙々と食べる。ひたすらグルメに乏しい不器用旅だったけれど、ひたすら目に鮮やかだった、また行きたい東京。

あとがき(?)

◉いま思うこと

 改めて、彼ら(自創作キャラクター)の人生について書くとは、どのような意味を持つか考えた。

 わたしはよく彼らのユーチューブのチャンネル、もしくはネット上の何らかのコミュニティが彼らのファンの慟哭で埋まるさまを空想する。熱狂したひとは言う(それはわたしの声でもある)、「生きがいです」「寿命が伸びました」。

 ただ物語の時空で生きているだけ、それぞれの生命をまっとうしているだけの彼らは「生きがい」にはならないし、わたしの「寿命を伸ばす」ことはない。

 ましてや神呼ばわりをして人間として扱わなくなってしまうこともあってはならない(大げさかもしれないが、褒めたり尊敬したり好きでいることはポジティブなことだと思われるだけに、歯止めをかける者もおらず、けっこう簡単に人間を人間扱いしなくなってしまう)。

 音楽活動をする彼らのファンであるわたしは、そこを自覚した上で、彼らの存在に寄りかかるのではなく「空想世界の出来事を現実世界で知覚できるように書くこと」で自身の命を繋げられるようになりたいと思った。

 余計な自論を述べてしまいましたが、イメージ◯◯といったサービスの存在が真面目に、真剣に生きる活力となり得ることも理解しています。こうしたサービスを日々のお仕事になさっている方々に対しては尊敬と感謝の念に堪えません。

 読んで頂きありがとうございました。

@awawai
趣味で小説を書きます。 lit.link/prmtlbrtori