山の東側には春が、南側には夏が、西側には秋が、北側には冬がやってくる。この世のものではない奇妙な山だった。その北側の霧が立ち込める山道を歩き続ける。唐突に開けた場所に出ると、古めかしくも立派な道観が建っていた。道士たちは星首を連れてきていた。枯葉が舞い落ちる寒々しい冬山の光景を背にしながら、誰もいない山道を歩いていく。この建物もまたアセンヤクノキで作られた小杭を打った結界の内側にあり、見える者には見え、見えぬ者には見えぬものらしかった。
……我らの師はここに眠っています。
……ツヒネの墓ですか。
……どう思いますか?
……どうとは?
……思い出してください。ここは陰界の内側。時の流れが歪んでいます。あなたは、本当に我が師のもとで三百余年を過ごされたのですか。それは確かに間違いのない事実ですか。故郷には、邯鄲の夢という言葉もあります。夢の中でさえ、一生涯にも感じる長い時間を過ごすことがあるのです。現実の時間は幾らも経っていないのに。あなたは、そういう幻を見ていないと言い切れますか。便宜上、亡くなったことにはしていますが、我が師は他人を誑かすことに異常なほど執着しているのです。死んだといって、生きているかもしれません。女人の姿をしているけれど、あの姿とてまやかしかもしれません。何ひとつ、信用できることがないのです。その法術の力量以外は……。
……ツヒネが、この場所から皆にまじないをかけているというのですか。これまでのことが夢だったとはとても思えませぬが、だとすれば、なぜ私に限らず弟子のあなた方まで術中にかける必要があるのか……。
……ですから、必要性だとか理由だとかは存在しないのですよ。
女がそう言った時、星首は自身が何者であるかを“思い出そうとしていた”。星首になる以前のことが思い出せないと思っていたが、そうではない。過去の姿など関係ないのだ。己自身を宇宙の中心としてひらけた光のなかに初めから輝いている存在、それが星首ではないか。失われたとみえた身体は、見えない空間で坐している。それがこの世の真理だ。そのことを、はっきりと意識しようとした時だった。
かさかさと枯葉の擦れ合う音が聞こえた。
誰かが道観のある結界内に迷い込んで、夜露をしのぐため眠っているらしい。この場合の誰かとは、妖しの気を帯びた狐であったり、偶然に結界内に辿り着く道順を歩いてしまい外へ出られなくなった旅人などだ。女と星首は注意深く、侵入者が隠れている道観の奥に近づいた。