下弦の月が南の空にうっすらと浮かぶ。海面にはか弱い光の粒が照らされつつある。砂浜一帯は〈月世界〉と名付けられていた。〈月世界〉の住人は、我流の解釈によってそこを明晰夢の世界と位置付けている。むろん、誰もそれを証明したわけではない。
浜辺をふたつの人影が歩く。ひとりは名もなき影で、もうひとりは影から第一の子と呼ばれていた。ふたりはたまたま出会い、旅人同士であることを知り、互いの思い出話を話して聞かせた。第一の子はこう語る。
「アンズの樹の下で観想するための旅だった。帰ってきたばかりだけれどもう行きたくなっている。織職人のひとりと友達になって、不慣れな言語で話をした。持ち運びのできる織り機を背負ったその友人と並んで砂利道を歩いた時のことをよく覚えてるよ。わたしは紙漉きだから、手仕事の繊細な感覚には寄り添えるつもりだった。織職人は家々を訪ね歩いて、その軒先で仕事をしてた。わたしはカメラを首からぶら下げて、珍しいものを見るような視線を浴びた。ジーンズ姿の女の子なんて実際珍しかった。まだ街には外国と繋がれた大きな道路ができたばかりで、よそから来るひとは少なかったから」
第一の子はそこで口をつぐみ、辺りを見渡した。ほど近くには漁師小屋も見えるが、そちらではなく浜辺に横たわるものに目を奪われた。倒れているのは根本から引っこ抜けた流木だった。老木だ。枝をあちこちに伸ばし、大ぶりな葉がなぎ倒され重なり合ったまま動かない。引きずり出された地下茎は海水に浸っている。流木の表面は乾き切っていたが、折れた枝の裂け目から白っぽい繊維が覗き、湿り気が見て取れた。倒れた幹から伸びる複数の細い枝がその場に身を食い止めるように砂浜に突き刺さっている。幹全体には、己が何者であるかを主張する衣装のように縄網が纏わりつく。その場に留まる形あるものとしてひときわ印象に残る姿だった。第一の子にとっては、流木がただの漂流物でないことが驚きだった。
「庭のコウゾの樹だ。どうしてあの子が。根っこから流されるなんてありえないのに」
「歪曲した記憶から生成された景色ですよ」
影はぽつりと答えた。第一の子にとっては夢の中の出来事だが、夢の世界にも真偽はある。夢とはいえ他者に孤独の時間を過ごしているところを見られるのは圧力であるし、庭木が倒れていれば事態の直面に動揺し悲しむ。両者が無言になると完全な静寂が訪れた。誰も来ない。砂浜一帯は今は誰の目にも映らない。幻視に長けた者ならば、結界らしきものが半球状に海岸を覆っていることに気がつくかもしれない。影はなにごとかを唱え終えると、今は誰も来ないほうが良いでしょう、と告げた。
どうやったの、と第一の子は張り詰めた声で尋ねた。表象の〈連関式〉を不正にしました、と影は答えた。実体なき者の曖昧な輪郭が不意に揺らぎ、すぐ元に戻った。
「魔法使いなの?」
「そう呼びたければどうぞ」
影は、光を遮る本体を持たない。地面に這いつくばる影ではなく、ろうそくの炎のように、なにもない空間にゆらゆらと立ち上っている。幻影のような姿を見たままに影と呼ばせていた。
「きみが〈月世界〉と呼ぶ場所、または状態は、厳密には夢ではなく表象界の入り口です。少なくとも私にとっては、物質界との接続を一時的に絶った現実の一部と言えます」
影によれば、意識ある者の内側から出でる事象をひとしく表象と呼ぶ。平時は誰もがあらゆる表象に接続を試みることができる。現実と呼ばれる時空間に表象が現れることすらある。〈月世界〉のように現実から隔離するには、表象のあやつりびとが時空間領域を解釈し、定義するところから始めなければならない。見つめるべきは形あるものの輪郭、重さ、色、素材、質感、温度、距離感、匂い。形ないものの濃度、明度、圧力、引力。対象を紐解くことで〈連関式〉を理解する。どのように世界と結びついているかを表す〈連関式〉を閉鎖、あるいは損傷させることによって、対象は因果律を離れ、他者の認知が及ばない存在となる。
「とはいうものの、事象そのものをその場から消したわけではありません」
影は一拍おいて続ける。対象が「そうなる」というよりも、黒い布をかけて「無いことにする」といった理解が適切だ。たとえば舞台上では、そうすることで観測者の目の前から「消えた」ことになる。〈連関式〉も、自分を含めた観測者に対する約束の手続きだ、と。
じゃあ、独りになりたければいつでもこうしたらいいね、と第一の子は言った。私はいつでも独りですよ、と影は的外れな返事をした。
「いずれにせよ、〈月世界〉や〈連関式〉については今はそう語るに留めましょう。ここがきみの夢の世界であるという信念を尊重するためにも」
影は、誰にも存在を認識されない。空中を堂々と散歩し、人びとの頭を踏みつけにして遊んでも気付かれることがない。第一の子は、初めてなんの認識操作もなしに影の存在を気取った。以来、影はその人間を「第一の子」と呼ぶことにした。
一人旅の目的を訊いても? と第一の子。影は、マントの下に隠した右腕を見せる。水気の少ない雪で作った像のように、輪郭が粒状になって脆く剥がれ、触れずともぼろぼろと崩れ落ちかけていた。
「表象界から生まれたものは、寿命はほぼ永遠にひとしくとも、脆い。生きている限り、負荷は耐えがたくない程度にしたい。私自身の存続のために〈連関式〉の研究をしているのです。脆く、傷つき、消耗した者の表象は、式の組成が独特でね。なにより、私は〈脆さ〉の化身だから、肉体や精神の脆弱さに触れると、それが糧になる」
「話を聴くだけで、お腹が膨れるものなの?」
「勿論です。きみのおかげで今日この日を生き延びられます。〈脆さ〉を克服するための研究をおこないながら、私が生き延びるには〈脆さ〉が必要なのです」
ふたりは音を失った海を眺めた。世界の連関から離れた砂浜にさざなみは届かない。放置すると、空間は表象界の一部と化すか、場に定着できず崩れ始めるだろう。
式の操作を初めて目の当たりにした第一の子が、思い切った様子で、わたしの内側の式も変えられない? と尋ねた。続けて言う。きっと〈連関式〉が本来のわたしと釣り合ってないせいだ。身体と内側がずれてるんだ。この姿も、本来のわたしじゃない。本来のわたしがここではどこに居るのかわからないけど、身体のほうは毎日くたびれていて何かを変える余裕がないから、内側を変えてやりたい。ここなら、わたしの世界を平和にできないかな、と。
影は黙っている。充分待ったと第一の子が思った頃に、「無視はしていないからね。考えてるの」と影が釘を指した。ふたたび第一の子は待ち続け、ふと空を見上げる。どこからかカモメが舞い込んでいた。世界と再接続された海と空が広がっている。断絶された世界線の向こう、海が崖となった地点から場が崩落し始めたため、影が〈連関式〉の不正を修繕したのだ。世界との連関を絶たれていた半球が再び自然性を帯び、場は、ありありとした物質の世界、客観的現実として再生される。〈月世界〉は閉鎖される。鳥が鳴き、さざなみが聴こえ、海辺には流木が増える。しかしその樹は、第一の子の庭木ではない。
「倒木の表象は、有り体に言えば今きみが心理的支柱を欠いた状態であることを示しているかもしれないし、そうではないかもしれない。夢の分析者であれば、漂流者としてのきみ自身を表しているとか、きみにとっての転機が訪れる予兆だとか言うかもしれない。けれどすべては無意味なのです。象徴を語るのはナンセンスだ。きみがなぜ、どうしてと理由を探るのは、コウゾが犠牲になった意味を求めているからではないでしょうか。私は、きみ自身の境遇を知りません。きみが累卵の危うきにあり、自己再形成とカタルシスの過程の只中であるとして、それを否定する気もありません。しかし、実体であろうと表象体であろうと、悲しみの感情に寄り添うことを理由に木が倒れることはないのです。ここで見たものは、占者の予定調和でもなければ、上位存在からのお告げでもない。私にしたって、すべてを思い通りに出来るわけでは勿論ない。私たちに確実に出来ることがあるとすれば、対象を見つめることです。ただ見つめること」
第一の子は、問いの答えを待ちあぐねて、唇を尖らせていた。〈連関式〉によって内側の世界は変えられるのかどうかについて、期待した言葉は得られない。やがて、影には答える気がないのだろうと諦めをつけて言う。
「あなたがそう言うなら、そうするしかないんだろうね」
第一の子はコウゾの樹皮を食い入るように見ていた。そうすると心が落ち着いた。影は静かに、怯えたこどもがそっと囁くように、〈連関式〉にはきみを救うほどの力はないよ、と告げた。そろそろと時間が流れた。第一の子がコウゾに近づいていき、その樹皮に片手を添えるのを、影は遠くから見ていた。しばらくして第一の子は影のそばに戻ってきて、すべきことを失い、ゆっくりとしゃがみ込んだ。
「わたしにもあなたにも、定められた道筋がある気がするんだよ。わたしは山育ちで、海辺で暮らしたことがない。これからも暮らすことはきっとない。わたしの作り出す砂浜は実際のものじゃあり得ない。だからか分からないけれどいつも夢に見てしまう。これがわたしの道筋。あなたの旅も、終わりがない。あなたはいつまでも〈脆さ〉に悩まされる。不完全で、矛盾したまま存在し続ける。誰の影でもなく、主体を失ったまま彷徨うんだ」
それでも羨ましいと第一の子は告げた。わたしも夢や心の世界を、限定的であれ操れたならいいのに、と。その言葉に対しては、第一の子が予想したよりずっと早く「否」と答えが返ってきた。
「表象界は特定の個人の心をあらわすのではなく、集合的なイメージの構造体に近い。収拾のつかない時態にもなる。見つめることしかできないわけですからね。……しかし、きみはきみの内側を操れるはずです。表象界と違って、きみの内側には私を含め誰も踏み入ることはできない、手を加えられない。他者の介入など及ばない不知の領域だから。さらに言えば、操るというのは無理矢理変えることではなく、きみの内側に吹く風に乗ることです。あのカモメのように」
無事な左腕で天を指差し、こう続ける。表象界は意識ある者が全知を成し遂げようと企てた瞬間から始まった未踏の空間で、すべての意識ある存在と繋がっているとされる。意識ある者は未だに誇大な空想に気を取られて、何よりも身近な表象界の存在に気付いていない。たまたま、きみのように迷い込む者が現れ、夢の世界や空想の世界だと位置づける。
「風に乗れって、それなら似たようなことを昔誰かに言われたよ。でも、とてもそんな身軽になれない。荷物は軽くできるし、山歩き用の靴だって履いてる。でもどうしようもなく身体が重たい。そんな時、遠くにいる友人の夢さえも見てはいけないの?」
影は声を低くして答える。いいえ。もしかするときみは表象界に近すぎて、本当の夢を見たことがないのかもしれない。ただ、表象界が夢のようにみえるのは、まだ彼らが立ち入っていないからです。道が開通すれば、開発が始まる。未開の地でなくなれば、旅行者が訪れる。そうしたら、第一の子よ、そこはきみの尊き内側の世界とは異なることが分かるでしょう、と。