見定めた方向から悠々と現れたのは、見覚えのある男装の麗人だった。会うのはいつぶりになるかわからない。遠くからでも漂ってくる酒のにおいまでもが、かつてと同じであった。
死んだはずのツヒネが酒を飲んでいた。酒を入れているのは普通の瓶子ではなく、明星と同じ境遇の星首だった。いわゆる“空っぽ”の状態で、意識も自我も失われているように見受けられた。壺の呪いをかければ、星首には液体を保存しておく陶器の性質が備わる。星首に酒を飲ませ、その口から吐き戻されたものをツヒネが飲んでいるのである。
ツヒネが何者であるか、今の明星には分かっていた。
……何もかも思い出しました、我が師よ。あなたは千里眼と順風耳の師でもない、道士でもない、女性でもない。私に密の教えを授けた阿闍梨(先生)ではございませぬか。これまでのことすべて、神仏が語りかけてくるのも、私の修行や旅路での記憶を蘇らせたのも、あなたさまの仕業でしょう。しかもそのお姿は、母親代わりとなって育ててくれた我が姉のもの。さては、私の記憶で遊んでおられますね。
……困っておるな。星首、いや、明星よ。儂が“手”を貸してやろうか。曼荼羅を描くための手が必要なのであろう?
……あなたがこの遊びをやめてくだされば済む話でございます。
……何を言っておる、我が弟子よ。これはおぬしの心の内の出来事ではないか。儂は既に死しておるし、とうに輪郭のはっきりとした姿も無い。だがおぬしが心の内で儂を生かしておるからこそ、こうして、手も足もある、酒も飲める、人の身として在ることができるのだろうが。おぬしのほうこそ、やめたいと、終わりにしたいと願えばよいのではないか。しかしおぬしはそれを己に許さぬ。儂のことも己のことも忘れて過ごせばそれも幸せであろうと文まで送ったというのに。そしておぬしは記憶を取り戻した。僧としての記憶、大陸での記憶、鍛錬と真理の追求についての記憶をな。なれば、おぬしを止める術などない。儂は、おぬしが真の曼荼羅を追い求めておるのを知っていた。だからこそ、準備儀礼のための九つの水瓶を集めておったのではないか。
ツヒネ、否、阿闍梨は憤慨し、首から下のない明星の周囲を歩き回った。女人の姿が偽りであると暴かれたゆえ、その外見は本来の老僧へと戻っていた。名もなき星首の片耳を掴んで、ぶらぶらとぶら下げているのが、明星には腹立たしくてならない。だが、明星は一方で冷静だった。
……私自身が記憶を無くし、陰界で首だけになったのを知って、壺の呪いをかけたのは、どう説明するおつもりですか。
……明星よ。言うておくが、未だにおぬしに壺の術をかけておるのは、おぬし自身なのだぞ。ここには秩序がない。おぬしがまだそれを曼荼羅として生み出しておらぬからだ。既に分かっていようが、曼荼羅とは混沌や混乱ではなく、秩序のことぞ。秩序なき世界には、行者であったはずの己自身が儀礼の一部となるような逆転の現象も起きよう。何にしても、生首のままではいずれ正気と生気が失せてしまうことは目に見えておった。あの時、儂は儂なりにおぬしを保存しようとしたのだよ。それに、この陰界においての灌頂(弟子の入門儀式、アビシェーカ)も、おぬしに清き水を頭頂部から振りかけることで完了しておるしな。儂は役割を果たしたのだよ。
阿闍梨は声色に無邪気さすら滲ませていた。対して、明星は低い声で問う。
……では、あなたの今の役割とは何ですか。
〈参考文献〉
『マンダラの密教儀礼』森雅秀,ちくま文芸文庫,2025