日記、あるいはジャズ、変わりゆく街について

awawai
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公開:2024/11/2

今日は休日。愛知県の岡崎ジャズストリートに行ってきました。あいにくの天気でしたが、演者さんたちの演奏が素晴らしく、行ってよかったと心から思いました。

名古屋駅から金山駅までJRの特別快速を利用。名古屋駅までがどえれえ混雑でした。普段空き空きの電車に乗るので、名古屋駅付近では人の多さに毎回驚きます。名鉄名古屋本線快速特急に乗り換えて東岡崎駅で降りると、改札を出てすぐにジャズストリートのパンフレットを手渡されました。駅近くには演者さんなのか、楽器ケースを背負ったひとがちらほら居て幸せな気持ちになりました。誰でも自由に演奏やセッションができるステージがあったので、そこに乗り込むつもりのひとも居たかもしれません。

パンフ片手にまずは昼食。イベントの本部である籠田公園近くのパスタ屋さんに行き、たらこクリームパスタを食べました。麺は柔らかめ、ソースがとろとろなめらかで美味しかったです。写真のサラダはもっときれいに盛り付けされていましたが、わたしが待ちきれずに箸をつけました。

籠田公園への道程にはストリートピアノがあったり(ちょうど雨のため店内へ退避されているところでした)、古着屋さんが複数あったり、遊び心のある街並みや、愛知県らしい広い道幅だったりと、心くすぐられる景色がいくつもありました。

写真は複合施設NEKKO OKAZAKIさんにて。モダンジャズ、もしくはフュージョンというのか、いわゆるスタンダードなジャズより実験的な、息つく暇のない展開と起伏に満ちて、非常に好みな演奏の真っ最中でした。途中からの鑑賞。

店内は、秘密基地のような空間、あたたかな空気、美味しいパンやコーヒー、スポットライトの夢のような光、コンクリート打ちっぱなしの高い天井に、密度の高い音がひしめいていました。ふだんはレンタルスペースとしてさまざまな用途で用いられる施設のようです。カフェ、ベーカリー、クラフトビールスタンドなどが混在して、ライブ会場にもうってつけ。印象的なのは空間が一続きになっていて、壁で区切っていないことでした。最近できた新しい憩いの場のようです。

パン美味しかった(移動中に潰れてしまって残念)。

↓の写真は、街中を流れる乙川に掛かる木造の橋梁、桜城橋。

行き帰りに往復しました。籠田公園と東岡崎駅を繋ぐ動線として供用開始されたのは令和になってからのこと。全長121.5m、幅19m(有効幅員16m)、広さ2000平米の橋上公園とのこと(岡崎市のHPより)。木造の建造物は有機的でつい歩みがゆっくりになる、という感想を持ちました。大きな木造建築を見ると、自然物を加工して人間のための公共空間を作り上げるという人類の発想に圧倒されます。

すごく個人的な話をすると、ここ数年練っている創作に登場する人物(ミュージシャン)の何人かの出身地として岡崎を思い描いているので、何気に架空の人物たちへの取材ができて嬉しく思います。しかし、彼らが出会ったのは2000年代半ば〜2010年頃のことなので、かつての岡崎の景色は既にどこにも存在せず、わたしにはもう観ることができないのだ、という絶対的な事実を突きつけられた気もしました。

岡崎は、再開発真っ只中で変わりゆく街、という印象を抱きました。もっとも、これは東京だろうと岐阜だろうとどこでも同じことが言えるかもしれません。

わたしは普段、他人の記憶をなんらかの外部記憶装置を介して見ることで、多様な認識を地層のように積み重ね、「行ったことのない街の記憶」「社会の在り方」を他者と共有している。しかし、ヒトは完全に同一の記憶は持たない(個人が個人である必然性のために)とわたしは考えます。よって、現在進行形の街のすがたに触れることで、己のなかに形成された「歪んだ」風景の有り様に気付く。

再開発というのは、進歩の反面、思い出の場所がいっぺんに書き換えられてショックなことでもあります。けれど、わたしは今日、明らかに「新しい街」で楽しい思い出を作ったのです。どうしてもそれを否定的にみることはできません。「かつての街」は、そこに住んでいたひとだけのものになってゆく。「新しい街」は日々少しずつ文化と記憶を育み、「新たな古さ」を獲得してゆく。そして少しだけわたしのなかにも地層が増えた。

同じ景色を見たという幻想。安全な街づくり。文化の形成と熟成。記憶のなかの街の在処。いろんなことを思いながら観光客として無邪気に散策しました。楽しかったです。

ジャズストリートにまた行きたいのはもちろん、岡崎城などの見所は今回おあずけだったので、今度はぜひ晴れた日に訪れたいな。

@awawai
趣味で小説を書きます。 lit.link/prmtlbrtori