日記、あるいは自由について

awawai
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商店街の古着屋で可愛らしいスカートを入手した。自分に褒美がほしかった。お店の親切なお姉さんとにこにこ笑顔で会話をした。センスの良い柄シャツやワンピースもいっぱいあった。お店は三年前くらいにオープンしたそうだ。ぜんぜん知らなかった。

新しく街の一部を知ることができて嬉しい。対象を知るたびに好きになれると、気分がいい。街をつぶさに観察すると、中には好きになれない発見もあるけれど、自分はできるだけ、どちらも平等に視線を注ぐようにしたい。ネガティブな感情や情報は避けがちになるが、平らな態度で見つめる冷静さが日常に欲しい。

度を超えた暑さと、土日屋外労働してそのまま平日に突入した疲れと、生理と、徐々に来る低気圧の気配と、引越し後もつづく荷物運びでくたびれている。

同僚がふたり体調不良で休んでいた。暑さのせいだ。出勤した皆もこの暑さに参っている。35℃を超える日が続くと、あちこちで体調を崩したひとの話を聞く。今日たまたま聞いた知人の話では、お子さんが熱中症で吐いてしまい家で休んでいるという。いくら健康でも、何歳でも関係なく、誰が倒れても不思議ではない。

平日オフィスでの仕事はまだ研修中で、本番業務には入っていない。どういったデータワークになるのか、どれくらいの作業量になるのか、今は察しがつかない。毎日、ひたすら日本語のアクセントを標準語に修正するトレーニングだ。

休み時間は何をしても自由だ。一時間に一度全員が休憩をとる。わたしはよくグミを食べたり、ストレッチをしたり、商店街を軽く歩く。職場は商店街の、たこ焼き屋や八百屋やブティックなどが混然と同居するなかにある。

昼は商店街にあるお気に入りのパン屋さんのコロッケパンを食べた。夜もパン。くるみ入りの食パンをもらったのだ。パンと一緒に濃い緑と赤の野菜を齧った。台所で立ちっぱなしで、皿代わりにティッシュを敷いて、あんまりにもと思ったが、これは実質サンドイッチだから。大丈夫だから。なにも崩壊してないから。と謎の言い聞かせを唱えつつ食べた。野菜を食べると、ちょっと身体が楽になった。

たくさん食べないとすぐバテてしまう。暑いという環境下にあるだけで、ヒトはかなり体力を消耗するらしい。体感としても、普段よりすこし食べ過ぎくらいがちょうどいい。体重はすこし減っていた。

気付くと歯を食いしばってしまっているらしく、頬に近い顎?のあたりが痛い。歯医者に行くべきか迷う。本当は行くべきだと思うが、いつも行く歯医者が引越し後には遠くなってしまったので内心渋っている。

そういえば首も凝る。なぜ力が入りすぎ、緊張してこわばってしまうのか、原因はよくわからない。なにもかも不確定で、どうなるかわからず、流れに身を任せる柔らかさやしなやかさもないために、落下して骨折しそうな不安にぎゅっと奥歯を噛むしかないのかもしれない。だけど、渓流のような荒々しい日々の中に身を置きたがっているのは他ならぬ自分自身だ。そうした刺激で、なにを誤魔化そうとしているのだろう。角を削って丸くなりたいとは思う。だけど誰を理想像に? いったい誰も苦しみなく水のようにさらさら生きているわけがないのに。わたしはいつも誰かに嫉妬している。そういう意味では、水気が多い。鬱陶しい。そんなふうに言われた記憶が、またじわりと染み出すから始末に負えない。

わたしが素のままに振る舞うとして、他人も同じくそうするとして、それが自由ということか。違う気もする。ありのままでいることは許されていない感じだ。それでも社会の一場面、ちょっとした瞬間に、すこしだけ常識の枠を、一線を反復横跳びする。ぶれる。間に立つ。勇気のいることをしてみたい。変わったやつだと思われることのひりひり感を、肌に触れるかどうかで感じて、この社会はどれくらいのイレギュラーを受け容れてくれるのか? どれくらい微笑むゆとりがあるのか? 試してみたくなる。機会を窺ってか、わたしはいつも強張っている。その自覚なく過去に迷惑をかけた他人への申し訳なさが、今になっても生々しいけど、かさぶたになって剥がれてきれいになるもんでもない。

今後一週間、気温と気圧が下がる一方らしい。頭が痛く目がしょぼしょぼする。今夜は早く寝てしまいたい。シャワーは朝浴びること、今日買ったスカートを明日履いていくことにして。

@awawai
趣味で小説を書いたり祭りに行ったり鳥を吸ったりします。 lit.link/prmtlbrtori