破れ寺には明星のほかに誰も居ない。雨は止み、月光だけがしんと降り注いでいる。
しかし、気配もないままに声は聴こえる。天の声は、まだまだあなたに試練を与えましょう、と囁いた。いつのまにかその声の主は形をもち、闇から影が輪郭をもって現れた。影は袿単に檜扇を手にした貴族となって、意地悪そうな笑みを口元に含ませていた。
そこらの水溜りがブクブクと泡立ち、何者かが地中から這い出てきた。毛がぼうぼうと伸び、青い肌をして棍棒などを手に持った鬼たちであった。影の貴族が檜扇をゆらめかせると、それを合図にしたかのように襲いかかってきた。一介の首に過ぎない明星に向かってである。この鬼たちは、己の心を鏡のように映し取った存在だ、と明星は思った。ここが明星の心の内に広がる幻のような世界だと分かっていても、だからこそ、己の心の卑しさがどれほどかよく分かるからこそ、そこに湧いて出る鬼どもの手強さは身に染みている。僧として仏に頼るということは、仏に縋らねばならないほど、生来の性根に自覚するほどの愚かさや卑小さがあるということだ。明星は、己の敵は己だと理解していた。
明星は口の中で真言を唱えた。風が強く吹き、それと共に森の奥から疾ってくる存在を感じた。疾走する存在が茂みから飛び出してきた瞬間、明星の頭に四つの牙が軽く食い込み、宙に浮かびあがった。明星は巨大な獅子の口に咥えられていた。
この獅子は、金剛界の四仏の乗り物のひとつだ。明星が目にした記憶のあるもので言えば、カドマンドゥ盆地の仏教徒たちにとって象徴的な存在である、スヴァヤンブーナートというストゥーパ(宇宙論的な意味を持つ建造物)に安置されている。鬼も形を持って眼前に現れるならば、仏の使いとて呼び出すことができる。陰界というのは、たおやかな襲の色目のように、多重の幻術でもって互いの認識を惑わせる世界である。
しかし、せっかく呼び出した獅子も、尊神とともに曼荼羅やストゥーパに配置されていてこそ魔除けとしての真骨頂を発揮する。単身では、近づいてくる鬼を威嚇し、明星を咥えて走り回って逃げるのが精一杯であった。
〈参考文献〉
『マンダラの密教儀礼』森雅秀,ちくま文芸文庫,2025