日記 20241110

ayahie
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私は、褒められることが少し怖い。褒め言葉の中には、いろいろな意味が含まれてしまうことがあるからだ。

私は一人っ子だ。なので、私がテストで良い点を取ったり、何かを達成した時、両親は基本的に喜んでくれた。その頃は、褒められることは素直に嬉しいことだった。

小学四年生のころだろうか。私の通っていた小学校は私立で、ほとんどの生徒が中学受験をする。だからカリキュラムも公立高校よりすこし進んだ、難しい内容だった。しかし、私は算数の実力テストで満点を取ったのだ。今でも覚えている。平均点は42点と、難しいテストだった。私はビックリしたし、やったー!と思って手を上げそうになってしまった。

けれど、答案用紙を渡す時に先生が私に言ったのは、「あんまり皆に見せるなよ」の一言だった。私はその時悟った。私にとって嬉しいことや、私の努力の成果は、他人を傷つけてしまう原因にもなるのだということを。

中学に上がったら、家庭環境の違いで逆の方向で同じようなことがあった。友人に、父親から日常的に暴力を振るわれている子がいた。その子に私が親と揉めた話なんかをすると、「それくらいならいいじゃん、うちなんかさ……」と言われた。

理屈はわかっていた。客観的に見れば、友人の方が辛い境遇にあっただろう。私の悩みはそれに比べれば大したことは無いのかもしれない。でも、私は一人っ子だから、家庭でのことを本当の意味で共有できる存在はいなかった。母や父が、どんな前提で、どんな場面で、どんな声色で、どんな風に私を傷つけたか、それを知っている第三者はいなかった。凄く孤独に感じた。私は確かに傷ついているのに、友人には「もっと辛いことが沢山ある」「お前は両親と十分仲が良い」と言われる。私の苦しみは、友人の愚痴の前座にされる。

高校最後の文化祭、私は遊び納めだと言わんばかりに様々な係をかけ持ちしながら、空いた時間に引退していた軽音楽部のライブを見て、空き教室で昼ごはんを食べた。「最後の文化祭だからいっぱい思い出残す!」と話したら、同級生の元部長が英単語帳から一瞬だけ目を逸らして、「高三の十月だよ?随分余裕なんだね」と冷めた目で吐き捨てるように言った。別に模試は全然D判定だった。でも高校三年生の文化祭は一生に1度で、私はみんなと楽しみたかった。

大学受験で、私は両親の母校を受験して、落ちた。母親には「この家で1人だけ仲間外れだね」と言われた。でも、センター試験で受かった私立大学の学費はなんの文句もなく払ってくれた。進んだ大学も学部も割と私と水があったので、留学さえした。時間だけはあったので、バイトもせずに同人誌を描きまくった。大学の知り合いよりネットの友達の方がよっぽど増えて、同人誌もどんどん売れるようになって、3年生の時に出版社から声をかけられた。

初めて商業誌に漫画を書くことになって、意味わからないくらい苦労した。編集と喧嘩にもなったし、描きたいものを話すと「1万部売れてから言ってくださいね」と笑われた。私の名前が来月の掲載予告として雑誌に載っているのに、延々とプロットも通らずに金が底をつきかけた。深夜にエナドリを飲んで泣きながらボーイズラブのエッチなシーン(必須だったのだ……)を書いていると、私はなにをしているんだろう、と苦しかった。

そんな時に、高校時代の別の友人と飲みに行ったことがあった。私が落ちた大学に受かり、院まで行っている優秀な友人だった。私が「いろいろあったけどなんとか漫画で稼げるようになった」と話すと、彼女は半目で「いいよね、そういう才能っていうか、手に職があるって。私の研究室なんかさ……」とこぼし始めた。

あーあ、なんでだろう。上手くいかない事ばかりだなと思った。

それから大人になって、いろんな人と話した。褒め言葉のフリをした社交辞令や、褒め言葉のフリをした嫉妬や、褒め言葉のフリをした愚痴の前座をたくさん聞いた。

だから、褒められることは少し怖い。

けど、信頼出来る友達の言葉は別だ。

私はいろんな経験を総合して、「私に良い事があったとき、一緒に喜んでくれる人」の言葉なら信用できる、と思った。

そうでない人の言葉は、そこまで重く受け止めなくていいや、と思うことにした。人それぞれ悩みがあるだろうし、辛いこともあって、私の喜びに腹を立てたり妬んだりすることはあるだろう。でも、それをぶつけて来る人を、私は大事にしなくてもいい。聖人にはなれなかったので、そう線を引いた。別に取り立てて冷たく接するつもりは無いが、かと言って親身はなれない。そういう人と付き合っていると、私が私なりに七転八倒して積み重ねてきた大事なものが、表面だけさらわれて、憎しみの対象として消費されてしまうからだ。

良い事を、喜びを、幸福を、分かちあって生きていきたい。振りかざすことなく、ただただ、「綺麗な朝顔が咲いたねー!」と笑った夏のように、「完売おめでとう!」とハイタッチした冬のように。そう思えるようになるまでにしてきた全ての経験に、不要なものなどなかったよ、と、人生を愛していけるように。