日記 20241030

ayahie
·
公開:2024/10/30

浴室に入り、シャワーを浴びながら、「なぜ今私は絵を描きたくないのだろう」と考えた。

商業作家である以上、仕事として絵を描かなくてはいけないのだから、「描きたくない」などとのたまうことは会社員が「エクセルを見たくない」と言って作業を放棄することに等しく、そのようなことは到底許されないだろう。四の五の言ってないで、無心で手を動かせばよろしい。金銭を得るための労働なのだから意味ややりがいを考えるだけ無駄である。……という自罰的な気持ちに襲われながらも、しかしそれとこれとは話が別なのではないか、と一旦その考えは脇に置いておくことにした。

私としても二度と絵を描きたくないという訳ではない。むしろ、もともと好きだった絵を描くという行為から体が離れていることには不服である。かつてのように、絵を描くこと、ひいては創作を存分に楽しみたい。

であるならば、「なぜ描きたくなくなってしまったのか?」ということをきちんと考えるのは大事な事だろう。湯船につかりながら、少しだけ自分と絵を描くことの関係性について思いを馳せた。

そもそも、なぜ絵を描くことが好きだったのだろう?とはじめに考えた。物心ついた時から白い紙を見つければ色鉛筆で絵を描いていたし、学生時代もプリントに空白を見つければ落書きをしていた。それだけでなく、絵を描くための無地のノートやクロッキーを買い、飽きもせず描き殴っていた。当時の私は何に突き動かされて絵を描いていたのだろうか。

それは、「絵が出来上がっていく」ことに快感を覚えていたからだ、と思い出す。自分の脳内にしかない物が、鉛筆を経て実像を伴うその過程が楽しかったのだ。しかし、今は想像したものをペンタブで画面に起こしても、さした喜びはない。これは何故なのか。

1つ、目が肥えてしまったこと。ひとたびTwitterを開けば、多種多様な絵描き達が何時間も、あるいは何十時間もかけて描いた練度の高い絵がスワイプするたびに湯水のように湧いてくる。これに慣れてしまうと、自分が描いたものにも特段高揚しなくなってしまう。三ツ星レストランの料理が口を開けていれば入ってくるのに、わざわざ自炊しようとは思わないのだ。更に弊害として、昔はpixivでいいなと思った絵をブックマークして大事に抱えたものだが、今はTwitterのいいねすら押さなくなってしまった。むしろなにか新しいキャラクターが流行る度にどんどん投稿される性的なファンアートに辟易してしまった節すらある。描く喜びどころか、見る喜びすらすっかり失ってしまった。興味の麻痺である。

2つ、自分の描きあげる絵の完成系が想像ついてしまい、実際それを超えることがほとんど無いこと。つまり、自分の絵に飽きている。ならば絵柄を変えようと試みればよいのかもしれない。しかし、先述の理由で「好きな絵柄」という感覚も麻痺しているため、どのように変えたらいいのかわからない、正確にはどのような絵を描きたいという目標がない。更に、締切が定期的にある漫画の仕事で絵を描き続けていると、どうしても費用対効果を上げたくなってしまうというか、悪く言えばいかにサボってそれなりの精度に見せるかという技術ばかり磨かれてしまい、いつの間にかすっかり手間暇のかけ方を忘れてしまったのである。漫画を読んでいても、迫力のある見開きや書き込まれた構図を見て抱く感想は「凄い!」ではなく「うわ、大変そう」になってしまったのだ。昔は頼まれもしていないのに同人誌で手間のかかる構図や背景を描いて「自分、やるなあ」と悦に入っていたのだが、そういった頑張りは別に時給に関与しないという感覚に陥ってしまった。見ている人は見ている、というのは美しい言葉だが、実際それが形として中々目に見えないとなると、無垢に信じてもいられないのだ。

他にもいろいろ、例えば鬱であるとか、理由はあるのだろうが、大きく思いつくのはこの2つだ。

とにかく、確実に言えることは2次元コンテンツへに対し食傷気味であるということ。昔は、無ければ描けばいいの精神だったのが、今は求めずとも目に入り、しかもそれらの質が高く(公式からの提供も多い)、そしてこちらの胃はもたれて小さくなっている……という状態になってしまい、創作するモチベーションが大いに下がってしまったのだ。

これを打開するにはどうしたらいいか。まず、惰性で見るのをやめることである。食べすぎて胃がもたれているなら、しばらく食べない方がよろしい。自分をある程度飢えさせるのだ。お腹が正常に減ってきて初めて「これが食べたいな」というものが浮かぶことだろう。昼食を食べて直ぐに夕飯の買い出しに行っても中々メニューが思いつかないものだ。

そして、自分の「好き」を取り戻し、それを描きたいと思えるようになってはじめて、それ以外も描ける余裕が出てくる。手の込んだものを完成させる余力が生まれる。もっと描けるのではという上昇志向を取り戻せる。……のではないか、と思う。

重ねて言うが、仕事であり責任が伴うのだから、言い訳してないで締切を守って黙って合格点のものを無心で作れ!という気持ちはずっと傍にある。でも、もう無心でバリバリ動ける状態ではないのだ。ガス欠気味の車をなんとか誤魔化し誤魔化し走っているのだ。生産性のない状態に陥った自分を情けなく、申し訳なく思う気持ちはあるのだが、だからこそ、立て直すために創作の環境を整えたい。

卯月コウの言うところの「社会人気分」になりすぎている。こんなんじゃ中学生はやってけない。コウくんの言う通りである。絵を描くのが、そして見るのが楽しくて仕方がなかった中学生の心を取り戻したい。やはり、創作ひいては仕事だって、楽しいのが1番だからだ。